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<title>こころ (新潮文庫)</title>
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<description>この本を初めて読んだのは多分数年前である16歳頃だったと思う。少し古めかしい言葉で読みにくさを感じたが、それを気にしなくなるぐらいに内容に引き込まれた。本に引き込まれるというのはこういうことをいうの...</description>
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この本を初めて読んだのは多分数年前である16歳頃だったと思う。少し古めかしい言葉で読みにくさを感じたが、それを気にしなくなるぐらいに内容に引き込まれた。本に引き込まれるというのはこういうことをいうのだと思った。 とても言葉では説明できないが、この本には人間の虚しさ、悲しさ、孤独、罪、懺悔、若々しさ、苦しみを抱えながらも1日1日を生きる、賢くも悲しい人間、それらが詰まっているように思う。 人の虚しさをひしひしと感じる本だ。 今新たな気持ちでこの本を読むと、昔と同じような、人の虚しさに直面した気持ちを抱くとはまた別に、「先生」の苦しみ、書生の青い若さ、 それらが心の中にスーッと入ってきて、フラットな、だがどこか深い奥底で、自分がまた人生を、そして人間を、深く考える材料(?)になるような気持ちになる。決して何か答えをくれるわけではないが、非常に心がいろんな意味で豊かになる本だと思う。 こんな気持ちになる本は、最初に読んだときから今までにも、この本しかない。 私の人生で大事にしていきたい本のひとつだ。 私が初めて読んだ夏目漱石の作品は、「坊っちゃん」、次が「吾輩は猫である」で、「こころ」は３冊目に当たります。先の二作品は一言でいえば、「愉快・痛快」という感想を持ちましたが、「こころ」は「重い」、「陰惨」といった印象でした。そして、この作品を自分なりに解釈できていないという想いがあったので、間隔を置いて私はこの作品を３回読んでいます。
 
 読む毎に、印象に残る箇所は異なりますし、印象自体も異なりました。最初に読んだときは、Ｋの過度なまでにストイックな言動（「向上心のない奴は……」）、先生の「鉛のような御飯」という表現、Ｋが自殺した後の一連の描写が印象に残りました。２回目では、主人公と先生のやり取り、先生の奥さんの悲しげな言動、そして先生の世捨て人のような生き方の描写に関心が移りました。３回目では、なんとなく全体を俯瞰するような感覚で読んだように思います。
 
 現時点でのこの作品に対する感想は、「恋愛」に現われる利己心、己を律しようとする「誠実さ」、いずれにせよ、「こころ」の作用が過剰になったが故に破滅に至る「個人」の姿とは、痛々しくひ弱なものだということ、そしてそのような姿を、主人公と同じ視点で読ませる設定は巧いということ。

 未だ、「こころ」という作品はどこが面白いかよく分からないけれど、なぜか惹きつけられてしまいます。今後も読んでゆくこととなるでしょう。
 
 
 読み終わるまでかなり苦痛でした。
お話自体は良いのですが、退屈でした。
「もうどうでもいいわ・・」と思いながら読んでました。
遺書の長いこと・・。
長すぎます。
しんどかった。
疲労感のほうが大きかったです。漱石が書こうとした「明治の精神」とは何だったであろうか。
『こころ』においては、登場人物の三角関係云々ということがよくいわれる。
『こころ』は、現代日本人の現代日本人的読み方では、到底読んだことにはならないであろう。
「明治」とは何か。
明治という時代が、日本にとって、どれほどの危機だったかということを、現代日本人は知らないし、教えられない。
国家存亡の危機であると同時に、日本精神の危機でもあったこの時代に、英文学者として西洋を知った漱石が、それを知った上で「日本」というものを徹底的に考えたのが、本作である。
そしてその葛藤と慟哭を描いたのが、本作である。
だからこそ、日本文学史上、『こころ』は確固たる地位にあるのである。
『こころ』は、日本の歴史精神と深く通じている。
真の日本の歴史は、戦後極端に歪められ、それは今も歪められ貶められ続けているのである。
そして明治の危機は、現代において再び、未曾有の危機として訪れようとしているのである・・確かに一昔前は傑作かも知れないが、文体が明治時代（又は戦前）で現代人には非常に読みずらい。これじゃ一部の人間しか読まないね。
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<title>私の個人主義 (講談社学術文庫)</title>
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<description>小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。
この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。

2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された...</description>
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小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。
この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。

2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された「21世紀に読む漱石」のゲスト・寺島実郎のイギリスから20世紀を持ち帰った男・漱石の話と、「私の個人主義」（1914年）の講演を声優・銀河万丈の声で聴いて内容にも魅了されました。

「道楽と職業」から、大好きな分野を個人的に学ぶ楽しさと、他人へのサービスとしての職業を考えることは、現代社会でも通じる内容です。

 漱石の『私の個人主義』は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』（1941年）、オルテガの『大衆の反逆』（1929年）に匹敵するほどの内容の講演と思います。
 時代を先取りした思想家・夏目漱石の言葉が、時代を超えて受け継がれることを祈ります。夏目漱石の講演録。小説はほぼ読んだはずだが抜け落ちていた。
感想は「見事」の一言、『草枕』の冒頭「智に働けば・・・情に棹させば・・・」を彷彿とさせる、神経質ながらも禅的、洒脱な話に聴き入ってしまった。「道楽と職業」にしても、学習院で行われた「私の個人主義」にしても、１００年前の講演とは思えないほど示唆に富んでいる。個人主義に関して、最も感銘を受けたのは次の言葉、あえて引用しておきたい。

「要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。というのは、そうした我儘な自由は決して社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるに極っているからです。私は貴方がたが自由にあらん事を切望する物であります。同時に貴方がたが義務というものを納得せられん事を願って已まないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らない積です。」

個人主義の意味を取り違えている人々が多い昨今、この漱石の言葉は貴重な遺産である。小説、評論、俳句等々、この一連の講演の精神はどの作品にも通じているように思える。

我々の仕事とは、「人よりも仕事を一倍して、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を維持するp.19」ことであるから、我々は皆仕事の上では「プロ」でなければいけない。「生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしてp.138」いたくなければ「進んだってどう進んで好いかわからないp.140」中を、「仕事をして何かに掘り当てるまで進んでいくp.141」必要がある、そこで「もって生まれた個性がそこにぶつかって初めて腰がすわるp.141」ことで「幸福と安心が持たらp.141」される。自分探しでうろうろしていないで、一つの仕事をとことんまで突き詰めるべきという漱石の言葉は本当にシンプルな人生の基本を示している。夏目漱石の講演を文章に起こしたものです。

身近な題材を出して分かりやすく書かれていますが、
どんな人にも面白いと思わせるであろう高度な内容です。

特に「現代日本の開化」は平成の世になった今でも
色褪せぬ輝きをもって読まれることでしょう。
このお話の持つ現代性はものすごいものがあります。
今の日本の姿を考える際に、土台として活用できす。１００年近く前の文章なのに！！

よく学校の教科書に収録されていますが、高校時代にしっかり読まなかった方の
復習に、是非お買い求めください！！

個人的にはこの本の（学術文庫の）書体も好きです。読みやすい字ですね。

漱石の講演をじかに聴いてみたかった。生まれた時代を恨みさえさせる本でした。 高校で初めて『私の個人主義』とであって、それ以来とても好きになった一冊です。夏目漱石の日本人や日本社会に対する鋭い観察力は時代の垣根を越えて今なお生きています。現代日本は金と権力を過信し、それらを盾に物事を決めようとしています。これに警鐘を鳴らす漱石の先見性は大したものであります。
 現代社会に対して不満の持っている方、自分が何をすれば良いのかよくわからない方、こういう方々はこの本を是非一回読んでほしいと思います。
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<title>坊っちゃん (新潮文庫)</title>
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<description>言わずと知れた夏目漱石の代表作のひとつであり、中高生にとっては必ず読む本といってもいいかも知れません。小説の入門書という感じですし、夏目漱石こそ小説家の代表でありますので、やはり、その作家の代表作で...</description>
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言わずと知れた夏目漱石の代表作のひとつであり、中高生にとっては必ず読む本といってもいいかも知れません。小説の入門書という感じですし、夏目漱石こそ小説家の代表でありますので、やはり、その作家の代表作であるため、日本人であれば、必ず読むでしょう。松山と言えば今は、坂の上の雲で話題となった、秋山兄弟や正岡子規が少しブームですが、決定的に有名にしたのは坊ちゃんであり、夏目漱石でしょう。最近では、｢鹿男あをによし｣も坊ちゃんの話をモチーフに作られています。先生と悪戯な生徒。武田鉄矢の金八先生、中村雅俊のゆうひが丘の総理大臣等のこの本の影響が残っているのでしょう。ドラマで学園ものが流行るのもこの小説の影響だとおもいます。子供の頃には、当時の時代背景等もわからないままに単に面白い学園ものの小説のように思いましたが、今は時代ものもあり、松山の当時の様子も生き生きと描いております。道後温泉はいろいろな影響を与え、市電もバンバン走っています。ひっそりとしたターナー島（おそらくそうでしょう）もあり、気がつけば、東京ラブストーリーのロケとなった駅も発見してしまいました。いろいろな逸話を想像させることがあり、夏目漱石が松山にいたことにより、正岡子規との掛け合い漫才のような時期もあったのを思い返せます。今は読み返す気もないですが、ドラマ（中村雅俊、岡本信人等）、アニメーション（モンキーパンチ原画）等もあり、楽しみました。都会から田舎へ、また手紙を読む形で物語を展開する等の手法ものちの作家にも影響を与えており、文体も生き生きとしており、ストーリーが読み切れない｢吾輩は猫である｣とは違い、読みやすく、単純、明快である。一部分ではサスペンス的なタッチもあり、人間の裏表もあらわし、ハッピーエンドチックでありながら、何か虚しさも残す等、辿りやすいです。子供は勝手に読むでしょうけれども。
不思議とこの本を人生の一冊とする人は見当たらないようです。｢こころ｣｢三四郎｣｢草枕」等が心にしむ？のでしょうか。ちょっと気恥ずかしい感じがあるのかもしれません。位置づけが実は難しい小説かもしれません。大人になった今、改めて文学に挑戦しようと思いましたが 読みどころが掴めずに終わってしまいました。 表現が難しかったり、 登場人物がぐちゃぐちゃに なってしまったりと、途中何度も挫折しかけました。 いつかまたリベンジしようと思います。 今まで読んだ漱石先生の作品の中では一番好きである。

赴任した土地に全く馴染めず、人や物に不満たらたらの坊っちゃんに妙に共感した。
こんな田舎嫌いの先生に来られたら土地の人は堪ったものではないと思うが、如何せん人間田舎は嫌なのである。
適応力の有無に関わらず適応したくないのである。気持ちは凄くよく分かる。そうさせるのは江戸っ子の矜持なのだろうか。

無鉄砲な江戸っ子である坊っちゃんも、漱石先生ならではの神経質な性格を示しているが、
他作品における神経質さほど気にはならない。
むしろ今作独自の不思議な愛嬌を帯びているように感じられる。

坊っちゃんが復讐を遂げて松山を逃れる最後も哀愁漂っていて良かった。
清への細やかな情愛にも好感が持てた。この小説は松山に赴任した中学校教師の奮闘記…なんてものじゃない。そこだけ取ったらそんなに面白くないと思う。 キーになっているのは清への思い。坊ちゃんはいつでも清を支えにしている(そんなこと坊ちゃんは言いませんが)、清を自分の中心に置いていて、いつも気にかけていて…読者もそれを常に感じとる事が出来ていつも温かい気持ちになる。坊ちゃんも読者も常に心の中で清の存在をそばに感じるからメゲないし真っ直ぐ正直でいられる。親から愛情をあまり注がれず育った坊ちゃん(漱石も同様らしいですが)を、唯一温かく見守り支えてくれたのが清で、そんな坊ちゃんのパーソナリティーを見事に描いていると思う。 そして私は不覚にも毎回泣いてしまう。 こんなにサラリと書いているのに坊ちゃんと清の事で胸を一杯にさせてしまう漱石はやはり流石だと思う。私には残念ながら坊っちゃんの良さは分からない。
分からないから３回読んだ。
読めば読むほど分からない。

唯の金持ちの坊主が父親にも愛想を尽かされ愛媛くんだりまで流されていき、やりたいわけでもない中学教師をし生徒に同僚に、上司に、家主に近所の住人に、交通の便に、食事の風習に朝から晩まで不満ばかり垂れる。

世間知らずの中途半端な金持ちの小僧が地方を卑下し都落ちして、都落ちした自分を差し置いて周囲を卑下する。田舎の世間の狭さを罵る。
何とも建設性もなければ清逸さもない。
ガキの戯言で終始する。
唯一の救いは元の使用人の老婆へ送る大いなる脚色を含んだ（故に愛情ある）手紙だけであろうか。

時代が違い不倫に対しての感覚は変わったかも知れない。
しかしいわゆる女性を買うという行為は人類史上最初の商売と云われる位で少なくとも男性の側でその手の店に出入りすることを不浄などと云うのは「頭の固い者」という相場であった筈である。
如何にその頭の固い者であっても、暴力に訴えかけ此を以て天誅と為すと云われても理解のしようがない。

いま、現実にこんな奴が面接に来たら絶対に採用したくない。
人としての魅力をどこに見いだして良いのか分からない。

「こころ」は先生の考え方に違和感を抱きつつも結構好きな作品ではありますが。
本作は私には駄作としか写りません。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/04/4087520099.html">
<title>こころ (集英社文庫)</title>
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<description>心に負った大きな傷が、 
今もわたしを苦しめます。 
弱いわたしは、一生この傷を 
癒すことはないでしょう。 
他人に助けを求めるには、 
私の中の自分というものが大きすぎたのです。先生は、連れ添う...</description>
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<![CDATA[
心に負った大きな傷が、 
今もわたしを苦しめます。 
弱いわたしは、一生この傷を 
癒すことはないでしょう。 
他人に助けを求めるには、 
私の中の自分というものが大きすぎたのです。先生は、連れ添う人とどうして自分の人生の深刻かつ大事なことを共有できないの？
お嬢さんに無垢でいて欲しいからですか？
Ｋを結果的に死なせてまで一緒になった人は、ただの無垢な女の人でしかなかったの？

どれだけ長く一緒に居ても、心を開けないの？妻の無垢さは何にも替え難いの？
その癖、出会って日の浅い青年にはすべてを打ち明けてしまうの？
青年が真面目である、というだけで？

先生の偏向した倫理観と意固地さは超弩級です。
純愛よりも、小賢しい知識を用いてあれこれ煩悶するのがお好きなようです。
お嬢さんに対して死ぬまで心を閉ざし続けることこそ最悪のエゴイズムなのに、先生はそれに気づきません。
エリートって相当病んだ人種なんですね。

平成の人間の目には、先生のトンチンカンな倫理感が奇異に映ることでしょう。
明治時代の人の考え方を知るための資料として読みましょう。人間嫌いな先生は自分も嫌いだった。
それは自分が嫌う人間と同じように、自分も人を裏切ってしまうからだ。
言い方を変えるなら、『エゴイスト』である人間に不信感を抱いていた先生は『自分もエゴイスト』だったことに気付いて絶望する。

人間の本質を表しているようだ。
本文ではこのように書かれている。人は元々悪人であることはむしろ無いないのだが、急に悪人になるのだ、と。


しかしそんな自分に絶望する先生は人間らしかった。つまり理想的な人間を社会にも、自分にも求めるからこそ、そうでない現実に絶望するのだ。先生こそ実は純粋に理想を求め、純粋に私心(私欲)によってその理想を裏切ったのだ。前者はあくまで私心に劣るということだろう。つまり、やはりそれは究極的な意味で仕方ないのだろう。むしろ私心を殺してしまうことは、自分を殺すことになり、それはそれで先生も絶望したに違いない。
先生の失敗は人間とはそういうものだ(結局道徳など本能的な私欲の前には劣るのだ)ということを理解しなかった点だと思う。
強い理想は現実の前に砕かれ、精神を病む。
人間とはさも素晴らしいもののように考えることを誤りだということに気付かせる作品だった。『こころ』を読んだのは、中学生のとき以来だろうか。
そのときは、国語の授業の一環として語彙を暗記したり、
「ここで先生はなにを言いたかったのでしょうか」
といった類の意味（心理？）解釈を
定期テストの対策として勉強した覚えがある。
有名な作家で有名な作品。その他にはとりわけ印象には残らなかった。

日本の近代文学が何となく肌に合わなくて、食わず嫌いをしていたが、
今さらながら読んでみて、なぜ素通りしていたのだろうと思った。
同時に、中学生のときにわかるはずがないと思った。
いや、国語の学習教材としても使われて、
現時点で（恐らくこれからも）読んでもまた理解の仕方や感じ方が違う。
この作品が時代ごとに読みつがれている理由の一つだろうか。
今だと、漱石の上品な文体に感じ入るだけでなく、
ある程度理性的にも理解できる。

漱石は近代的な人間の内面を鋭く描写したという定式的な解釈がある。
それ自体は間違ったものではないとは思う。
だが、実際に読むと、漱石や先生はそういったところに入ったまま、
そういったところを突き抜けた地点で表現（解釈）するという
ある種の矛盾を両立させているように見える。すごく中立的に。
そのためだろうか。本書は重いテーマではあっもとても読みやすい。
深淵だけど寛容。奥深いが間口は広い。

『こころ』は岩波、新潮、角川、集英社と多くの出版社から出されている。
本屋では同時に手に取ってみて、紙質、字体、装丁、解説など
比べてみるのも楽しみの一つになる…かもしれない。
心理描写に長けている作品。人間の繊細な心情、
特に繊細な感覚な登場人物とも言えますし、
共通項を見出せます。FRAGILE ＝人間とも感じる。

登場人物の出会いは、唐突のように思うし、
それが人生とでも思います。

作品全体の雰囲気が静寂と脆さを醸し出し、
最後の遺書の部分は、詳細かつ独自の誠実さを
感じます。

今回、集英社文庫を買い、この表紙も興味深く
内容の一つのエッセンスとなっていると思います。

後、３００円代で買えるというのは、非常に
お得な一冊と感じます。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/05/4062128519.html">
<title>アースダイバー</title>
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<description>たまたま小川糸さんの｢喋々喃々」を読んだ後にこの本を読みました。
小川さんの本は谷中が舞台なのですが、ところどころリンクするところがあって｢えー｣っ思いながら楽しく読めました。

それに、東京タワー...</description>
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<![CDATA[
たまたま小川糸さんの｢喋々喃々」を読んだ後にこの本を読みました。
小川さんの本は谷中が舞台なのですが、ところどころリンクするところがあって｢えー｣っ思いながら楽しく読めました。

それに、東京タワーや皇居・銀座や上野などこれを読むと東京は西にある高級住宅街は東京の歴史を語っていないのだなって思わずにはいられませんでした。



中沢新一という人がどんな人で何を研究している人か、個人的にはさして興味を持ってこなかったのだけど、こういう本を書いて、それがそれなりに受け入れられているというのは、著者にとってはおそらく悪いことではない。

（20年くらい前にこれを書いてたら、もっとボコボコにされるか、あるいは一顧だにされないかのどちらかであったと思う。）

批判する人がいてもいいし、そうした批判を受けるだけの理由がこの東京論には実際あちこちにある。どうも気に入らない、こんなもんに付き合ってられないという人は、こんな本、捨ててしまえばいいのである。

けれども、捨てる神あれば拾う神あり。

洪積層だの沖積層だの、あるいは資本主義だの神話だのとアカデミックっぽく理性的めかして書いてはいるけれど、おそらくそれらの外貌そのものは、著者にとってはぜんぜん重要ではないのだろう。実証だの論証だのをもってしては決して届かない世界の闇。そこへ向けて自らの五感を作動させようとすること自体に、おそらくこの思索の意味はある。

実際にその土地を歩き回ることによって、アタマではなく、カラダで妄想する。それを無意味だと思うのなら、この本に意味はない。けれども、そこから何かわざわするものを感じ、何かを考えようと思えたのなら、それでこの本を読んだ甲斐はあったと言えるのではないか。

評者としては、参考文献なんか離れて、もっともっと自由奔放に妄想してもよかったでのはないか、と思う。もっとも、そんなことをしたらもっともっとワケノワカラナイものに仕上がってしまった可能性は大なのだが。東京の地誌+民俗学+経済学などなど・・・
いろんな観点から東京を観ていて、おもしろい。
ドキドキしながら読みました。

途中、筆者の主観に走りすぎてる感があったり、
“週刊現代”に連載されていた記事をまとめられた本なので、
読者の好みそうな内容に傾いてる感もあり・・・。
鵜呑みにしなければ、楽しめる。

東京のフィールドワークがしたくなる本でした。
民俗学が好きな人も楽しめるかも。 東京の古層に眠る縄文の記憶。久しぶりに読み終えるのが
惜しい本と出会いました。

 東京を支えるエネルギーを今でもこのように引き出せるの
が驚きです。本書を読んで感じるところがある人とない人
の両極端が存在すると思いますが、私によっては素晴らしい
本でした。思想家と言う肩書きを持つ著者が
縄文時代の古地図と現在の地図を重ねた
独自の地図を元に東京を歩きその感想を書いたこの本。
色々な発見と共に、思想家という人は
なんと創造力の豊かな人たちなのだろうと驚いた。

大地と平地が入り組んだ街、東京。
この本は
東京は徳川家康が入植する前はただの荒果てた土地だったと、
昔の日本史で習った事を
思い出させてくれた。

今は、アスファルトに囲まれた都市だけれども、
小さいながら昔ながらの風景を残していて
それは案外近くにあるって事に気がついた。

江戸、東京。
この二つの文化は繋がっていないように見えて
実際は繋がっていて、
それも深い関係がある。
現在の東京都庁のあるあたりの十二社物語は
本当にダイナミックで今度、訪れようと思うほど、
東京の歴史の深さを再認識できた。

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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/06/4101010013.html">
<title>吾輩は猫である (新潮文庫)</title>
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<description>小学生の頃読んで、わからず、中学生の頃読んで、やはりわからず。ストーリーが理解できないのが理解できないことかと思いました。歳をとるにつれ、落語が好きになり、愚痴を言うようになり、妥協も知り、という段...</description>
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小学生の頃読んで、わからず、中学生の頃読んで、やはりわからず。ストーリーが理解できないのが理解できないことかと思いました。歳をとるにつれ、落語が好きになり、愚痴を言うようになり、妥協も知り、という段になって、ああ、そうゆうことかというがわかってきました。時代背景が結構重要なポイントなのでしょう。結構、夏目漱石は読んだので（キングオブ小説家と思っているため）この作品だけ、なんだかよくわからない感がありました。肩肘を張らずに楽しんで読めばよいのだな、ということであると思います。よく、作品のストーリーを簡単に紹介する本を読んでも
非常に説明しにくい小説なのでしょう。分厚いし、切れ目が切りにくいため、子供向けではないかもしれません。べいらんべー、口調で声を出しながら朗読すれば、結構楽しめます。それでも漱石の代表作ですので…。私の文章は、初期の漱石の影響を受けている。漱石の文体は、ベランメエ口調で調子がよい。本書は、『坊っちゃん』と並んで歯切れのよい口語文を書くための最高の文章読本だろう。他の人も書評で述べているが、「図々しいぜ、オイ!」がDo you see the boy?になっているのもおもしろい。明治時代の日本人の英語の発音の仕方がわかるからだ。seeが「シー」となまるのは今も同じだが、theが「ゼ」と発音するのは現在のなまり方とは違っている。boyが「ボイ」と万国音表文字通りに短母音になっているのも興味深い。寺田寅彦がモデルと言われる寒月が「ドングリのスタビリチを論じて、あわせて天体の運行に及ぶ」のもおもしろい。さすがに後世に名を残した高名な物理学者のことだけはある。日常の物品を通じて、宇宙の運行を感じとるのであるから、すごい。私と同じ感じ方だからね、ハハハハハ。小説は漱石に始まり漱石に終わると言われるそうですが、自分は、そんな前知識も無く「三四郎」、「坊ちゃん」の流れで、この本を手に取りました。そもそもの始まりは「クオリア降臨」という本の中で「三四郎」を強烈にリスペクトしていた茂木健一郎氏の著作の影響でしたが、こんなにまで夏目漱石に嵌るであろうとは思いもよりませんでした。余裕派と言われる、僕が高校生のときの教科書で一部を読んだ「こころ」などとは雰囲気を異にした、この小説の方が自分には気持ちが通じるものがありました。しかし「自殺クラブ」や、現代の女性の自立にまつわる離婚の増加などの先見性は、手塚治虫の「未来像」とは異にしたネガティブな未来像で、実際の現代にもつながっているところが、もの凄いです。現代の政府が、この本を真面目に解釈していたのならば少子化省などという政府も作る必要が無かったのかな？なんて勝手にう限りです。本を開くと字が、ぎっしりとつまった、この小説に、うんざりしてしまう人も多いかと思いますが、どんな哲学の書よりも将来に役立つことが書かれている、物凄い書であると自分は思います。知識人を嘲笑している馬鹿猫の話かな〜？
馬鹿猫にそうせき先生が憑依していろいろ文句いってます。
しかし日本はこの手の小説おおいね。ムラカミも最近このノリだしね。「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な書き出しは、学生時代からずっと頭に残っているものの、実は最後まできちんと読んだことがありませんでした。登場人物の描写決して大げさではなく、猫の視線から描かれたものでありながら、つい笑いを誘います。現代の笑いのセンスとは違ったテイストがありとても楽しめました。登場人物である「猫」の人間社会を冷めたかんじの語り方と「クシャミ先生」の偏屈ぶりは憎めないものがあり、文豪、夏目先生の世界にはまりました。
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<title>三四郎 (新潮文庫)</title>
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<description>あの時代に、こんなにも素晴らしい作品を書いていたんですね。
人間はやっぱりあまり変わらないものかもしれません。
広田先生のような人もいますしね。
何となく、村上春樹さんのようなにおいがするのは気のせ...</description>
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あの時代に、こんなにも素晴らしい作品を書いていたんですね。
人間はやっぱりあまり変わらないものかもしれません。
広田先生のような人もいますしね。
何となく、村上春樹さんのようなにおいがするのは気のせいでしょうか。細かい評論は僕はできませんし
他の方が沢山述べていらっしゃいますので端折りますが
僕は 冒頭の東京へ向かう列車の中の情景や
途中の名古屋で面識の無い女性と同室することになり、
色々な意味で困りに困った三四郎が
タオルで布団の間に境界線を作ったのはいいんだけど
翌日その女性に「よっぽど度胸が無いんですね」と言われ
凹むというエピソードが大好きです（笑

登場人物もどれも個性的で愛らしくもあり
そのままマンガにでもできそうな秀逸な展開となっています
「猫」に並び肩の力を抜いて読める夏目漱石の娯楽作ですこれは田舎から出てきた三四郎が、東大で薫陶を受け、そこに出入りしていた女・美禰子に淡い恋心を抱きながら、振り回される話です。

美禰子は奔放な生き方で男をかき回す、クラッシャーですね。こういった話は、いまでもそこら中に転がっているでしょう。田舎から上京した男が都会でどう感じるか・・・これをこれほど見事に描写するとは、漱石恐るべしです。

いろいろと伏線めいたプロットがあるのも面白い。あまりにも有名な本書ですが、これからも必読の青春小説であり続けるでしょうね。漱石の作品としては、重苦しくなく、わりあい素直に楽しめる作品。

内容は、実学でなく「思想」に生き、世の出世とかに淡白そうな広田先生に触れたり、解放的な女性に翻弄されたりする、都会（東京）に出てきたばかりの田舎者・三四郎の日々をつづった（だけの）ものであるが、このどきどき・うだうだ感がまさに青春だぁ！というわけで、個人的には、大学生（とくに地方出身の）にすすめたい青春小説Ｎｏ.１である。青春が遠のいたひとが再読しても、充分楽しめる。というか若いころに読んだときより、もっと楽しめるかも。三四郎といっしょにふらふらすれば、ちょっとした東京散歩もできるという趣向。





熊本から状況してきた東京大学に入学した小川三四郎。
図書館のくだりは、手にとるような描写がある。
１年生は書庫に入れないという仕組み、
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<title>それから (新潮文庫)</title>
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<description>偶然にも，敬愛する先生も，
最近はベッドに入り，夏目漱石を読みがら，
眠りにつかれるそうだ。
先生は，森鴎外を読まれているのだろうと
思っていたので，最近これを知り驚き，
嬉しくなった。

それにし...</description>
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偶然にも，敬愛する先生も，
最近はベッドに入り，夏目漱石を読みがら，
眠りにつかれるそうだ。
先生は，森鴎外を読まれているのだろうと
思っていたので，最近これを知り驚き，
嬉しくなった。

それにしても代助の思索，思考，行動には何故か
引き込まれるものがある。小説『それから』の主人公・長井代助の生き方と環境に、多くの人が憧れたのではないでしょうか。
代助の父親が経済的に豊かなため、彼は積極的に働くこともなく、読書生活を日課とする青年知識人、それが高等遊民の誕生である。

イギリスに留学した漱石のことを、「20世紀を持ち帰った漱石」という言葉がある。
1914年（大正三年）の学習院での講演「私の個人主義」で、それを感じることができます。

漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』は、20代、30代、40代になって、私たちの心を揺り動かし共感します。
その中で、『それから』の世界に夢中だった30代は、高等遊民の世界の大切さを感じさせてくれました。

明治期の評論家･内田魯庵（1868〜1929）の「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」の言葉が印象的でした。

夏目漱石（1867〜1916）の小説『それから』の魅力は、心の内面の深い感情と思考、そして葛藤の心理描写の匠さである。「１００年前のニート＜代助＞大いに語る」といった風の小説でしょうか。

ある面から見れば、代助はいい血筋で学もあるのに「働いたら負け」といったごとくノラクラと暮らしているわけです。それがあろうことか、ちゃんと就職して働いている友人の妻と不倫する。こんな道理は通りません。

１００年近く経ってこれほど現実に迫った鮮度を保っているとは・・・もちろんコレは漱石が今の日本と状況の似ていた当時のイギリスに留学していたことと無関係ではないのですが・・・驚嘆に値しますね。面白いです。
明治42年朝日新聞連載の長編である。有閑階級のインテリ代助と友人平岡の妻三千代との恋愛関係の帰趨を、平成年金暮らしのシニアは切実なリアリティとして受け止めることができた。
倫理面で極めてストイックな物語の展開が先ず印象に残った。

この作品は、利害（打算）抜きの想念と憧憬だけの結婚観に支配されている主人公・代助の若さ（未経験）と観念で貫かれており、父が薦める方の資産家佐川の娘との結婚を断り、実業家の父と兄それに嫂と勘当されてしまい、経済生活に支障をきたす事が暗示される形で終結する。構成と人物描写や対話の進行（スタイル）はブロンテ姉妹らの英文学作品との類似性を感じた。

現実生活を超越した主人公の破局的な生き様を、当時の読者はいかなる感慨を持って受け止めたのであろうか。それは 恋愛至上主義とは程遠い、多感な無職の有閑インテリのほろ苦い青春の挫折とでもいえようが、打算的な現代の若者には理解しがたいのではなかろうか。

西洋の貴族社会において 夫婦以外の愛人の存在がかなりおおっぴらに認められていることが知られているが、漱石の時代には西欧で王や王妃の愛人関係の存在が一般的であることまでは余り知り得ていなかったのではなかろうか。

総じて、近代社会発展期の明治期にあって、ンテリ層を中心に台頭してきた個人主義の精神と人間感情の起伏についての表現が秀逸であり、ムンクやアンソールの絵画を思わせるような終結部における代助の絵画的体験描写は、漱石が小説家というよりも心理学者の分析を披瀝しているように感じた。

このテーマは現代の日本にそのまま当てはまる要素を多々有しており、今なお当時新聞連載中 漱石の意気込みと人気の程がうかがわれる作品といえよう。

３０歳にもなって職を持たず、実業家である父から生活費を貰って暮らしている代助は友人夫婦である平岡夫妻が帰郷したことで様々な事柄と向き合うことになります。自身を責任ある立場に置かないことで成り立っていた生活と心の基盤を揺るがすのは...というのが始まりです。またまた当然文章が上手いです、説明し尽くされることに慣れしまっている現代の小説家の文章よりもずっとセンスある、隙間を生かし、全てを説明しないでも伝えるテクニックがとても心地よいです。そして、展開も、描写も来ます、迫ってきます。哲学的問いかけ、生活者としてのその時の風情もあり、それでいて愛情についても語られる、昔からあったであろう西洋小説の王道です。しかし、その西洋の王道が日本的なものになって漱石先生の手にかかると、メランコリーで回ります。そこがとても日本的だと、ある意味美しいとさえ感じました。 

内容に言及しています！ 

代助の無意識の内に平岡に自分の好きだった三千代を斡旋する努力を行ったことはおそらく『妻を娶る』という責任を回避するためのものであったであろうと私は解釈しました。だからこそ、その後その自分でした事の事実お大きさに悩み苦しみ、そして運命という言葉を出して自身を納得させる部分はたしかに誉められた行為ではありませんが、ドラマとして必要な部分でさえあると私は思いますし、自分で蒔いた種を刈ることの悲劇性が強くなって小説としてよかったと思います。その辺や相対する平岡を徐々にどんな人物に変わっていってしまったかを描くことで感情移入させやすくしていますし、より小説世界に入り込んで楽しめました。なんだかんだと理由をつけ、その理由が正しいか誤っているかではなく、今どうなのだ？という現実に即する事が出来ないあたりが私個人的には村上 春樹さん的にも感じられ面白かったです。やはり周りをとりまく人々の（父の、兄の、嫂の、そして平岡や寺尾、もちろん三千代まで当然！）凡庸なるまともさと神経質なまでの考えに固着する代助の頭の回り方が対比美しく良かったです。三千代が代助の告白を聞き入れる度胸の大きさと覚悟の見事さに比べてのある意味滑稽でもあり、そして何故だか哀しくもある代助の態度がまた印象的でした。 

その上ところどころで挟まれる描写の美しいことがまた盛り上げたり、引いて見せてくれたり、まさに自在に私の感情をぐりぐりと動かされた感じでした。特に描写では、嫂に自分の好きな女が出来た事を告白した帰りに見る梅雨時に珍しい夕陽と車の輪との描写はとてもヒロガリを感じますし、まさに衝撃的な場面の後でよりいっそう余韻に浸りました。また代助が三千代を好きだと自する場面での「三千代」を繰り返す文章が非常に代助の心を描写する意味では上手いと思いました。 

不倫小説、とは言いすぎな部分もあるかと思いますが、現代でも同じ題材として繰り返されるモチーフのひとつでありながら、その他とはあきらかにレベルが違って感じる小説、再読だろうと充分に耐えられる芯の太い小説だと思います。 

私は最後に代助の至った狂気への道筋にも見える部分こそ、本当の、現実への扉を開け、責任を負うことへの代助から見たものをそのままに描写したものだと思います。狂気を感じさせつつリアルであるという踏みとどまりを感じました。 

漱石先生の作品が好きな方に、何時の時代もある不変的悩みに興味ある方に、村上 春樹さんの初期の頃作品が好きな方にオススメ致します。 
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/09/4101010064.html">
<title>門 (新潮文庫)</title>
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<description>「十四」以下が圧巻。
辻邦夫の末尾解説もよかった。
三部作で最も好きな作品となった。夏目漱石の中で最も好きな作品。
主人公の妻が風邪で寝込む場面が兎に角良い。
美しいとさえ思える。
それから、御米に...</description>
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「十四」以下が圧巻。
辻邦夫の末尾解説もよかった。
三部作で最も好きな作品となった。夏目漱石の中で最も好きな作品。
主人公の妻が風邪で寝込む場面が兎に角良い。
美しいとさえ思える。
それから、御米について裏表紙のあらすじに安井の「妻」とあるが、
実際は安井の『妹』である。ちょっとした落ち着きを感じる、夫宗助と、その妻御米（およね）、夫婦はひっそりと暮らしていていたのですが、宗助の弟小六（ころく）の学費の事で問題が発生し、交渉を行わなければならなくなったのですが...というのが始まりです。穏やかそうにみえた暮らしを営む夫婦の今はどのようにして成り立ったのか？またある救いを求めさまよう宗助の心の置き所は見つかったのか？という作品です。 



内容に言及しています！ 


どんな時代であったとしても、不変的テーマの一つだと思いますし、安易な解決策が示されるわけでもなく、それでいて破滅的な局面があるわけでもなく、それでも読ませる作品でした。「こころ」も好きですが、今現在「門」を読み終わった後としては私は「門」が作品として、私の好みとして好きです。 


宗助の性格の変化、諦観に至った状態、そしてある偶然からかき乱される心情、どれもとても理解できますし、妻御米をいたわる部分がリアルに感じられました。最初のエピソードでもある、ある漢字が気になって疑り始めると全く分からなくなってくる、という部分に宗助の傾向を納得させられてしまいました。やはり文章がとても上手い、奥行きがあるのもそうですが、月並みですが風情ある、季節感じられる描写、不自然でない対比、作為をきちんと隠す技術、匂いたつ描き方、次第に明かされる過去といった構成、そして比喩。どれも素晴らしかったですし、この世界に入り込んでしまいました。比喩にいたってはほとんど全編に至って出てこないのですが、計算されたにしても見事なくらいのタイミングで、カタルシスを感じさせるタイトルとの直喩が、私にはとても重く、感嘆しました。あたりまえかもしれませんが、上手すぎです。いろいろな読み取り方が出来るのでしょうけれど、簡単に抜け出せない日常と日々積み上げてきた、あるいは積み上げるしかなかった物事の結果を受け入れる（それももがいた挙句の！もがく事をしない最初からの諦めではない）宗助と御米の穏やかな日常に帰ってゆく部分が最初の場面と重なってまた良かったです。 


新聞でこのレベルを連載されたら、みんな新聞読みますよね。また、当時としてどんな評価だったのか？も気になります。今の作家さんでいったらどんな方に該当するのでしょうか？人気がある新聞作家、もう絶滅してしまったように思われます。 


淡々とした日常から、宗助や御米の人柄を浮きあがらせ、少しだけ不明な部分をフックとして読み手を惹き付け、なお展開で伏線とは気がつかれにくいようにし、その上キャラクターが読み手に充分伝わったところで過去を語ってゆく構成など、本当に素晴らしかったですし、王道です。だからこそ少し気になる点について。 


私は新潮文庫版を読んだのですが、この新潮文庫の背表紙に作品のあらすじというか紹介があるのですが、いかがなものでしょうか？２人の過去が分かっていたら、ある邂逅を知らされていたら、こんな不親切で、おせっかいで、知ったかぶりたがる紹介はいかがなものか？と思うのです。この文章の書き手のセンス無さと虚栄心がにじみ出ていて非常に気に障ります。この点が不満でした。 


夏目漱石さんがお好きな方に、あるいは全ての日本人の方に、オススメ致します。私の中では「こころ」がどんな方にでもオススメするベストの作品に変わりは無いですが、個人的にな好みとして、作品の扱う世界の大きさとしても、「門」が１番好きです。 「三四郎」「それから」に続く漱石前期三角関係三部作の最終作。それにしては前作「それから」が、だらだらした進行が最後に一気に、緊張感をもって真っ赤に燃えて終了するのとは違い、今回はだらだらした状態が最後まで続く。 モンゴルアドベンチャーも最後まで、主人公とは遭遇せず、御米もそのまんま。大家の崖下に住んでいるという環境自体が、結構、クラい。鎌倉の禅寺に修行に行って、何も成果を得られず、踏んだり蹴ったりで東京へ帰ってきても相変わらずの、崖下暮らし。漱石の作品の中でも「超・暗い」作品ではなからうか。「門」は「三四郎」、「それから」に続いて明治43年に朝日新聞に連載された。明治42年の伊藤朝鮮統監暗殺事件が、主人公である宗助・御米の夫婦の会話に出てくることから、背景となる時代がわかる。宗助夫婦はまだ江戸の名残りを留めている東京の片隅の貸家に肩を寄せるようにひっそりと暮らしている。役所に勤めているが、暮らしは楽ではない。そのうえ夫婦には友人を裏切って結婚したという過去があり、これがいつもトラウマになっている。

漱石の享年を遥かに越えた今、「門」を読み返してみると、宗助の優柔不断さが実感をもって共感できる。抜本的な対応ができず時が解決するのを待つ。人生とは多かれ少なかれこんなものだろう。座禅を組んでも簡単には悟りは得られない。宗助はきっと「こころ」の先生のような悲劇的なことにはならず、御米と労わりあって人生を全うするだろう、と期待する。

本書には柄谷行人氏の丁寧な解説（昭和53年）がついている。
その中で、宗助の日常を「かつて激しい学生運動をやっていた者が中年のサラリーマンとなって感じる感慨と類似する」とうが、さてどうだろうか？

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<title>中原中也詩集 (新潮文庫)</title>
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<description>山口県にある湯田温泉に行ってきました。東京から電車で行くとちょっと時間がかかります。
だけと、静かで良い所でした。カワハギが美味しかったです。
行ってから知ったのですが、ここが中原中也の故郷だったの...</description>
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山口県にある湯田温泉に行ってきました。東京から電車で行くとちょっと時間がかかります。
だけと、静かで良い所でした。カワハギが美味しかったです。
行ってから知ったのですが、ここが中原中也の故郷だったのですね。
中原中也の記念館もありました。
この町を散歩して、温泉にでも入り、中也の詩を読んだりして、なかなか優雅でした。
子供心を失わない素直な人だ。
毎日ふっと思いつくのに生活のためにふりはらってしまうような事をちゃんと思い返して詩にしてる。
私は、もうそんなこと考えたってしょうがないと諦めてたのに。でもそうゆう生活って自分がよくわかんなくて余計に辛かった。
これを読んでやっぱり私もまた子供の頃みたいに生きようてゆうか気持ちだけでもそうしようと思えた。
この人は金持ちの子。だからこんなに詩を書けたのか。でもかんけいなく感動する。
やっぱ世の中に必要な人だ。中原中也の詩に出会ったのは高校一年の時でした。当初から独特のリズム感、詩が持つ世界の空気感に惹きつけられていました。高校二年の時、教科書に載っていながら授業で取り扱わなかったのをきっかけに購入、有名な詩以外にも魅力的な詩ばかりで買ってよかったと素直に思いました。哀切な響きと、それを包み込むような言葉の柔らかさと温かさ。またそれとは違って、悲しみに胸が締め上げられるような攻撃的なものまで、本当に感動しました。高校時代にこの詩集を読んだときには、あまり好きになれなかった。
でも、浪人しているときにもう一度読んだら、胸が締め付けられるようだった。
心になにか暗いものを抱えてる人が読むとヤバイ詩ばかりです。中原中也の詩は独特です。
難しい言葉も表現もありません。
しかし読むたびに新しい発見をする、そんな詩です。

中也は生まれながらの詩人です。
彼にしか作れないリズムや言葉があります。
彼にしか見えない幻の世界もあります。
それらが実に、真実味を帯びた情景描写を生み出すのです。

もし誰かが中也の詩の特徴を活かして詩を書いたとしましょう。
たとえそれがどんなに素晴らしい詩だとしても、
その詩は中也のそれの模倣であるとしか映らないでしょう。
それほどまでに中也の詩は特徴的なのです。

一度読めば分かるはずです。
自らに訪れる感情を残酷なまでに細かく分析し、
その緊張感を、そのままに叩き込んだ彼の詩は、
70年以上経った今も、読まれるたびに進化しているのです。


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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/11/4101443106.html">
<title>腰痛放浪記 椅子がこわい (新潮文庫)</title>
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<description>この著者のミステリーは1冊も読んだことはないが、この本は実に面白かった。
私のような２，３日休めば回復する程度の痛みではなく、自殺さえ考えるほどの激烈な痛み。
それを治療するために、大学病院から鍼灸...</description>
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<![CDATA[
この著者のミステリーは1冊も読んだことはないが、この本は実に面白かった。
私のような２，３日休めば回復する程度の痛みではなく、自殺さえ考えるほどの激烈な痛み。
それを治療するために、大学病院から鍼灸、カイロ、マッサージ、果ては霊媒師までありとあらゆる治療を試みるが直らない。
はたしてその結末やいかに。
実に意外な方法で完治するのだ。

実在の病院名や治療者の名前が書いてあり、治療しても直らなかったというのだから訴えられないだろうかと思う。 有名な小説家、夏樹静子さんが、腰痛の苦しみとそれが治癒するまでの遍歴を、ご本人の日記形式でリアルタイムで描写されています。
 最終的には、痛みの原因は以外にも「心理的要因」である事がわかり、ある心理療法家の治療により治っていくのですが、そのスリリングな筆致は苦しまれた当人だからこその迫力がありました。
 「治癒した今でも心理的要因だったとは納得できないほどの痛みだった」という症状には、読者もまさに「こわい」と思わされるようなものでした。

 抑圧された感情が、身体にブロックをつくる、という概念は、現在アメリカの心身医学界で大きな潮流として認められており、そのような視点で書かれた医療書も、多く見られるようになりました。サーノの「ヒーリング・バックペイン」をはじめ、ピーター・リヴァインの「心と身体をつなぐトラウマセラピー」や、マインドフルネスを提唱した各種の本には、「気づき」による心身両側面の治癒の例が掲載されており、大変興味深いのですが、本書は、稀有な文章力と客観性を持つ作家という職業者が、「患者からの詳細なレポート」をものにされたという点で、大変貴重だと思います。

 とにかく、読み物として大変おもしろいので、おすすめしたいです。
腰痛に悩む方はもちろん、心身相関（一体）的なセラピーに興味をお持ちの方も、ぜひ一読されると理解がますかと思ます。さすがに文章がうまいので、引き込まれて最後まで読んでしまった。
夏樹静子の腰痛は、色んな検査をしても、器質的な疾患が明確に
ならなかった。
そこで、考えられるのは、心の病である。
しかし、夏樹静子はそれが納得できなかったので色々と治療を試みる。

この本を読んで、器質的な疾患がなくて、身体に疼痛がある時は、
心の病を疑う必要があるということが、少し理解できた。売れっ子作家が、作家としてのスタイルを変えようと模索する時に、腰痛に苦しみ、広い交友関係を利用し、
ありとあらゆる治療を受け、最終的に心療内科で快方に向かうまでを伝えている。現役の作家自身が
思いもよらぬストレスを抱え、腰痛の治療にかけずりまわり、その地獄から生還するまでを、治る見込みのない
時から書かせた文藝春秋の商魂！も凄まじい。

西洋医学、東洋医学、霊まで出てくる。実名で著者の治療には無力だった名医たちが次々に出てくる。
作家の森村誠一さんも同時進行でおなじ治療を受け、著者とは異なり快方に向かうことも書かれている。
河合隼雄先生へも編集者を介して相談している。著者は、ネアカで、頭の回転が早く、思い込みも
激しい性質と描かれている。早口で治療者と向かい合って行くさまは、サスペンスさながらだ。

最後の最後に「心でこんなに痛くなるはずはない」と否定していた主人公が「心だから無限の痛みを
作ることができる」と、さらにネアカなはずの主人公が抱えていたストレスの存在に『気づく』。
そして、快方に向かって行く。詳細に書かれた本書で追体験することにより、多くの腰痛難民が
救われるのではないかと感じる。私は民間病院に勤務する、無名の勤務医です。
多方面の検査では異常は見あたらないのに、腰痛や背部痛を訴える方に、頻回に遭遇します。
その痛みは激烈であり、時には痛みの部位が移動したりするのが特徴です。
老若男女を問わず、患者さんの数は非常に多いです。
非常に多い、という事を、特に強調したいです。

私は、本書を読んで、少々もどかしく感じました。
著者は、ご自分に合った治療法に巡り会うまで、随分遠回りをされました。
各界で名医と称される多くの医師や治者の診療をはじめ、話が「霊」にまで到達しているのには、少々驚きました。

私なら、こういう場合は、心理的側面を重視し、懇意の臨床心理士の先生に、まず相談します。
経験から言って、時間は少しかかりますが、その方向の適した治療法の紹介で、たいていは劇的に症状が改善します。
問題は、この、心理的側面の可能性の問題を、患者さんに説明しても、なかなか信じてくれない事です。

そういう意味で、本書が世間に与えた啓蒙は大きいです。
本書では触れられていませんが、最近は、激烈な腰痛を訴えるニートの若者も激増しているとも感じます。

本書の登場以来「信じてくれる」患者さんが増えました。
信じてくれない方には、本書の一読をお勧めしているのですが、目から鱗だという反応が得られる事も多いです。

こういうケースでは、私の様な、無名の勤務医の言葉は重くはないです。
「劇場のイドラ」かも知れませんが、著者のネームバリューの持つ力は大きいです。

本書は殊の外壮絶です。

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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/12/4003109716.html">
<title>中原中也詩集 (岩波文庫)</title>
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 才能あるものは夭折する運命なのですね。

 退廃的な美しさがある。

 
 安っぽい恋愛小説を高いお金を出して読むより、

 こちらのほうが余程、ロマンがあります。

通常詩というものは、一つ一...</description>
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<![CDATA[

 才能あるものは夭折する運命なのですね。

 退廃的な美しさがある。

 
 安っぽい恋愛小説を高いお金を出して読むより、

 こちらのほうが余程、ロマンがあります。

通常詩というものは、一つ一つのセンテンスの中に豊富な形容詞や言い回しが、数珠つながりと化していて、そのテクニカルな連結方法や纏め方に、言葉自体以上の深みと魅力を感じるのだが、中原中也の詩集は、一つ一つの文その物にはこういった知恵の輪はほとんど無く、しかし１つの詩を読み終えると、その詩が世界観として映画のワンシーンのように視界に浮かび上がるような、そんな魅力がある。

だからまるで風景画。しかしゴッホのように荒々しい色使いではない。もしこれを詩としてではなく、何気なく友人知人の言葉として、もしくは街の広告の一部として耳にしていたら、その魅力に気づけていたかどうか？というほどの薄味で、静かに、寂しく、ぼんやりと、淡々と、喜怒哀楽しているのである。

ので、詩自体は子供でも十分に解せる会話文クラスの易しさで構成されているにも関わらず、精神的に落ち着いていなければ、これは中年・老年者にも理解不能な魅力であろう。詩人だなぁ、素敵だな、虚しいなぁと、きっと編者の大岡昇平もジンワリ感じていたろうに、共鳴可能な、心象美。

夏というのはあれほど盛んに情熱的な季節にも関わらず、そこに剥き出しの虚無を感じて呆然とする、きっとそういうことは誰にもあることだが、みんな祭りの最中に一々そんなことを口にしない。そういう微妙な心の違和感を、ピンポイントで疎通材料に提出するこのセンス、これはスゴイ鋭さです。
この詩集の特徴は、未刊詩の選択にあると思います。
編者大岡昇平にとっての中也という存在が鮮明に表れていて、それ自体に感動を覚えます。
特に未刊詩集後半の編集は、大岡の中也への想いが語られているような、切なくも暖かいまなざしを感じます。最後に選ばれた１１編(「夏の夜の博覧会はかなしからずや」から「夏日静閑」まで)では、長男文也を失った衝撃と、その悲しみの果てに思考を弛緩させ、ただ呆然とするしかなかった痛ましい中也のこころが、線香花火のように瞬いています。
純粋な魂が苦しみぬく時に放つ光の、残酷さと底知れない美しさに焦点が当てられ、それを余す所なく捉えているこの岩波版は、全詩集とはまた違った、編集による魅力があります。
中原中也は、生きることのつらさ、はかなさ、哀しさ、そしてたまに愛しさを、類まれな表現力で詩に映しとっている。ときに大胆に、ときに繊細に、あるいは自由律で、あるいは五七調で。日常の淡々とした出来事の中に、彼は哀しさを拾い集めている。（本人は「悲しさ」を感じているのではなく、感じているその感情を名づけるとすれば「悲しさ」になる、というようなことを言っている）さて、中也の解説は私ごときがやることではないのでこれくらいにしておき、ここでは岩波文庫版の特色を挙げておこうと思う。集英社文庫版に比べ、岩波版はとにかく収録している量が多い。ページ数も約二倍で文字も小さく、「山羊の歌」と「在りし日の歌」は全篇、後書きまで載っている。しかし、未刊詩篇は当然編者である大岡昇平により選ばれているので、集英社版に収録されているもののうちほんのいくつかがない。私の好きな「酒場にて」が未収録なのは個人的に残念である。それでもその圧倒的な量は集英社版とは比較にならない上に、短歌も初期時代のものと「温泉集」が収録されている。とりあえず作品をたくさん鑑賞したい方にはおすすめである。解説は、中也のバイオラフィーを追いながら書かれており、大岡昇平の「中原中也」を読んだことのある人には目新しくない。個人的には集英社版の新保祐司の方が興味深い解説だった。新潮文庫版もそのうち読んでみたい。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/13/4087520064.html">
<title>汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫)</title>
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<dc:date>2010-03-10T20:42:09+09:00</dc:date>
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<description>過去に何度か読んではいますが改めて。。。 

やはり 
「汚れつちまつた悲しみに……」は秀逸です。 

表紙イラストは 
「テガミバチ」の浅田弘幸集英社文庫の表紙リニューアルシリーズ。
絶妙な表紙で...</description>
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過去に何度か読んではいますが改めて。。。 

やはり 
「汚れつちまつた悲しみに……」は秀逸です。 

表紙イラストは 
「テガミバチ」の浅田弘幸集英社文庫の表紙リニューアルシリーズ。
絶妙な表紙です。読む気にさせますね。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん

オモシロい。なんだそれ。
彼の感性が面白いです。鋭すぎる感性で自らの心を日常と風景に移し言葉を掴み取る。ひたすら自分であろうとし、自分を言葉で描く天才。鋭く、淡く、儚く激しく、それでいてどこか突き放して淡々とした感じ。本当に詩を書く為に生まれて生きた人だと思います。 ３０歳で夭折した詩人「中原中也」としてではなく、一詩人である「中原中也」の作品集
として読んでほしいと思います。
 ついつい作者のプロフィールを気にして作品を読みがちですが、その辺のことはあえて
無視して、純粋に作品だけを読むと、その詩のよさがわかると思います。 
 私は「冬の長門峡」が好きです。
繊細、儚さ、大人になるにつれて忘れていく感情。
若くして生涯を終えた、中原中也の言葉は、今の時代でも色褪せません。

1つ1つの詩をゆっくり味わって読めば読むほど
深く綺麗な世界が広がっていると思います。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/14/4309400027.html">
<title>枯木灘 (河出文庫 102A)</title>
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<dc:date>2010-03-10T20:42:09+09:00</dc:date>
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<description>衝撃的な内容。近親相姦、白痴との姦通、、なんでもあり。
中上健次に本来ふれてほしい人にこの本は届かないというもどかしさ。
日本文学だとか文壇だとか狭いインテリだけが共有してよい財産ではない。

読者...</description>
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<![CDATA[
衝撃的な内容。近親相姦、白痴との姦通、、なんでもあり。
中上健次に本来ふれてほしい人にこの本は届かないというもどかしさ。
日本文学だとか文壇だとか狭いインテリだけが共有してよい財産ではない。

読者は内容をきちんと理解して読み進めたか？
クドいほど同じ内容を繰り返してくれなければ
他の作品と同じように読み進めることはできない。
悩みはズルズル何度も何度もどうしようもなく繰り返す。
関西弁の会話文は理解できるか？
最下層の市井の人々はまことに自分勝手にしゃべって
それで会話が成り立ってるようにしているだけ。
適当に読み進めてかまわない。雰囲気だけ感じられたらよい。





中上健次の小説を読むのはこれが最初ですが、現在までに3回ぐらい読み直して、今後恐らく再び読み直したいと思う小説の一つであります。
彼の生前を全く知らなかった私は中上氏の没後10年以上も経ってから彼の事を知りました。
インターネット上で検索して拝見することが出来る彼のエピソードや、彼と交流のあった村上龍氏や柄谷行人氏などの
作家や批評家などの対談や回顧録を通じてどんな方だったのかを追っている最中です。
今年の五月にはオートバイで枯木灘を通って新宮市に向かう旅をしました。
にわかファンなので他の作品との対比としてこの作品を批評する事は今現在は不可能です。

この作品で登場する主人公秋幸は恐らく中上健次自身を投影したと思われます。
（間違ってたらごめんなさい）
兄の自殺など、中上氏と類似するエピソードが描かれているだけではなく、紀州の最果ての地新宮、路地と中上が呼んだ被差別部落、複雑な血縁関係なども盛り込まれているからです。
それがどのように、どういう風に描かれているのか？

盛り込まれた事柄のお互いの関係性を可視化するのならば、
それらの関係性を取り結ぶ糸はとても細くて鋭利な刃物のように、少しでも触れれば切れて血が出るほどに
細くて鋭い糸で出来たものが最大限に伸張し、そして切れそうで切れない。そういった危ういバランス上の上に
構築されていると思われます。秋幸が秀雄を殺害する事によってその糸は最大限に伸張し、いったんそこでプツンと切れます。
その地点がこの物語の最高点です。そを基準点にし、前半、後半、と分ける事が可能だと思います。
前半はそういった関係性の緊張が高まりつつある様子を様々な出来事から描き出し、その到達点に一気に駆け上る形で向かいます。そこにいたるまでにも沸点はいくらかありましたが、実現するという形の到達点は唯一そこだけです。
後半はその沸騰が嘘だったかのように静かに終わっていきます。
龍造の不気味さは秋幸の秀雄殺しによって止めを刺されます。到達点以後、龍造は反省してしまい、
しおらしくなります。そして静かに物語りは一旦終わります。

何が凄いのかというのは未だうまく説明する事は出来ませんが、読めば凄いというのが分かると思います。
分からない人はあきらめずに3回ぐらいは読み直したほうがいいかもしれません。
僕も初めて読んだ時は何が凄いのか分かりませんでした。
噛めば噛むほど味が出る、そういう小説なのでしょうか？
中上健次を読もうと思う方は必読だと思います。

彼の死を境にして、日本近代文学はどうなったのかは私には分かりません。
中上の死はある意味、枯木灘の秋幸の秀雄殺しのような一種の到達点ではないだろうか？
日本文学は現在どうなってるのかはよく分かりませんが、そんなおかしな妄想を抱きながらまた枯木灘を読みたいと思います。
この作品の読後感は「カラマーゾフの兄弟」と同じ大きさであった。
「七人の侍」を観終わった後と同じ大きさ、とも言えるだろうか。
そういう比較がナンセンスなのはわかっているが、
この日本が誇るべき作家と作品を、声を大にして喧伝したい欲求にかられてしまう。

複雑で不可避な血縁にわざと背を向けるように、
主人公の秋幸は毎日太陽の光を受けてツルハシを振るうことに喜びを見出す。
単調な繰り返しが、秋幸にとっては心臓の鼓動のように、自分が生きている証となりうる。

だが、日々の単調さから来る充実も、あるきっかけで、
本来の秋幸の感情が、まるで昆虫が脱皮するように秋幸の表皮が破れて、
秋幸の真の性情が表出する。
個々ばらばらだった物や人が、一気に秋幸の肉体に向かって凝結し、
血や土地によって元から秋幸の肉体に刻印されていたかのように
人間の宿命が秋幸の姿かたちとなって浮き出される箇所は、
人間の存在意義や歴史や運命といった、人が背負って抗うことのできない業（ごう）が
秋幸という一個の人間を媒介として可視的な形となり、
作品から迸り出て読者であるこちら側に伝染し、
読者自身の心の葛藤となって心臓をつかみ、読んでいて体が震える。
まるで人間を、血管の１本に至るまで、その存在を透かし見たような興奮。

私は今でも、中上が生ていたらノーベル文学賞を授与されたはず、と確信する。 レビューにも日本文学の最高傑作と書かれている方があって、それならばと読んでみたのだけれども、確かにものすごい完成度の高い作品だと思う。自分の中では今まで読んできた小説の中では絶対にベスト３には入る。ただの近代私小説よりは構成でも印象でもこの本の方が格段に上だ。
 所謂性とか暴力、複雑な血縁関係の中から生じる苦悩などを描き出した作品。複雑、と言っても一通りでなく、従来のメロドラマの離婚・不倫・妾の子などが何重にも重なっており、ほとんど網のになっている。そこから感じる苦悩や、兄弟内の事件、自分の本当の父の肖像などが何度も繰り返し（くどいほど）語られ壮絶な中に生きる主人公の姿が目に見えてくるようだった。すべてを忘れるために土方作業に打ち込む時の鮮烈な描写も忘れられない程インパクトが強い。主人公のやりようの無い思いも簡潔な文章でありながら、ひしひしと伝わってくる。
 似た様な小説は石原慎太郎氏なども書いているが、血縁関係などをからませる中上健次氏の文章の方が私は好きだし、印象深いと思う。日本人必読、とはさすがに言わないけれども、日々の生活に不満や憂鬱を感じている人などには同感できるのではないかと感じた。興味がある人は勿論読んでみるといいと思う。何故その本を買ったのだろう？南紀での仕事があり、新宮の関係者に挨拶に行った。あの辺で仕事をするには、そんなもんだと言う。まあ、大阪でも事情はたいして変わらない。大阪から新宮まで４時間以上かかる。枯木灘の海を見ながらその本を読もうと思った。海際は風が強く木が枯れてしまうので枯木灘という。中上健次という作家がその題名の本を書いてることは知っていた。行きの電車では海の景色を見ていた。海際まで山はせまり、平らな所はほとんどない土地だ。白浜を越え、すさみから紀伊半島の先端、串本までの海が枯木灘で、串本から東の海が熊野灘という。帰りの電車でその本を読みはじめた。大阪に着いても読み終わらないので家に帰っても読んだ。午前３時をまわっていた。 本を読むことは、それを書いた人と会話することだった。読みながら絶えず「お前の話よ」と喉元にナイフをつきつけた。自分のことであれ、他人のことであれ、その本は今まであったすべてのことを思い出させた。この土地に生きながらこの土地に帰ってきたことを思い起こさせる。何日かたってその作家の生前の写真を見た。少し間違っていた。この人はナイフなんか使わない。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/15/4872578112.html">
<title>こころ (まんがで読破)</title>
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<dc:date>2010-03-10T20:42:09+09:00</dc:date>
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<description>原作を通読していることを前提として、おおまかなストーリーを忘れた時に参照するというのがベストな読み方だと思います。
このサイズの漫画にするという制約があるのは重々承知です。
ただ、それにしても、エピ...</description>
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原作を通読していることを前提として、おおまかなストーリーを忘れた時に参照するというのがベストな読み方だと思います。
このサイズの漫画にするという制約があるのは重々承知です。
ただ、それにしても、エピソードの取捨選択の方法にやや問題があります。
一番気になるのは、〈下53〉におけるKの自殺に関する先生の分析がすっかり抜け落ちていることです。
それから、「私」が先生から生きた思想をぶつけられた後に「書いている」という設定が見えなくなっている点も。
とっつきやすさはアドバンテージです。
それだけに、これを読んだことで「読破」とはしない方がよいかと……。私が高校生だった夏休み「この作品を読んで感想文を書く」という宿題が出ました。
悪戦苦闘の末読み終えた時、私の心にまず浮かんだ感想は
「何なの？この尻切れトンボのような小説･･･
 先生の遺書で終わってしまって「私」は一体その後どうなったの？」
という平凡な思いでした。
しかし、その割にはなぜかずっと自分の心にひっかかるものがあり、
機会があったら再読したいとずっと思っていました。
そんな時にこの漫画に出会いすぐさま買って帰りました。
漫画だったからでしょうか？それとも自分が歳を重ねたせいでしょうか？
高校生だったあの頃より少しは「先生」の気持ちがわかるような気がしました。
それがいい事なのかどうかはわかりませんが･･･。
ただ、この漫画を読んだおかげでやはりこの作品についてもう一度
じっくり読んで考えてみたくなり、原作を再読する気持ちになりました。
人それぞれだと思いますが作品に興味を持つきっかけとしてはちょうど良いと思います。このシリーズの特徴として原著を十分に理解していないこと、わかりやすそうな部分をつまみ食いしてツギハギ状に中身を構成すること、そして漫画自体の技術や表現が稚拙なことを指摘できるだろう。

まず、「先生」があまりに一方的で性根の卑しい男に描かれている点にそもそも大きな違和感を感じる。
そんな「先生」に「Ｋ」が愛した「お嬢さん」がホイホイとついて行くのだろうか。

「先生」の「Ｋ」に対する信頼や友情、人生に対する信頼とその反転、2つの自殺。
この物語を単なる三角関係の恋愛物語と捉えてはいけない。
「私」という登場人物をなぜ漱石は配置したのか、それらをよく考える必要がある。

人間には多面的な性質と情動があって、その本質からは「先生」や「Ｋ」の様な現代では比較にならないほどのエリート達も逃れられなかった。多くの内的矛盾と倫理観、価値観、時代の思潮が複雑に混じり合いながら進む物語を、単純で一面的な解釈や視点で捉えるのは大きな文化的損失と言えるのではないか。

「漫画」という着眼点は評価されるべきだが、漱石の精密な筆致を崩してまで読者に読ませるだけの「漫画」でなければ、そもそもこの企画自体が看板倒れになってしまう。
先にレビューをされた方が「墓石の戒名が Ｋ と彫られているのは悪い冗談」と仰っているが、全くその通りであると思う。基本的に原著を尊重して作品を創る態度が欠けている。

つまり、原典の十分な理解と漫画そのものの技術、画力が欠けている。
同じ600円程度を払うのであれば、新潮でも岩波でも角川でも原著を購入することをお勧めする。
そして一つ一つの言葉と句、文をじっくり確かめながら、それぞれの解釈を立てていくことが有意義なのだと思う。…こんなに外見が(中身も悪いがw)オカルトで変質者ぽかったっけ？
外見がやりすぎな感じがします。
主人公に信頼され精神的に頼られる人だからもっとデザインや演出を考えて欲しかったなあ。

奥さんのけなげさと優しさはオリジナルも入っていますが涙が出てくるほど良いです。
こんな良い人の人生をKの贖罪の為に自分で死んで償うことによって哀しくしてしまう
先生のエゴイズムは本当に惨いです。
漫画で読むとさらに痛感します。

原作ファンからみると印象が違うからあえてお勧めしません。
初心者には話の内容がわかりやすい本だと思います。
読んだあとの読後感はすっきりしませんが。まず夏目漱石の文という概念を除けば十分楽しめる本だと思います。目漱石独特の文章の書き方等はやはり漫画なのでありませんが、少しギャグ(?)調な部分もあり面白かったです。表情が上手く、少し先生が悪人面(人を信用しなくなった故の)ですが、心情が表されていて個人的にはわかりやすかったです。しかしページ数がなくとても薄いので省かれている箇所もありますが、逆に考えれば簡単に読めるので、こころを試しに読んでみようという方にはぴったりです。
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<title>吾輩は猫である (岩波文庫)</title>
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<dc:date>2010-03-10T20:42:09+09:00</dc:date>
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<description>我輩は犬である。
名前はポチだ。

この本に登場する猫は、我輩の友達なのだがまだ名前が無いらしい。
名前さえ付けてもらえないショボい猫なのだが、こいつがなかなかの男なのである。

こいつは、妻と3人...</description>
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我輩は犬である。
名前はポチだ。

この本に登場する猫は、我輩の友達なのだがまだ名前が無いらしい。
名前さえ付けてもらえないショボい猫なのだが、こいつがなかなかの男なのである。

こいつは、妻と3人の娘を持つちょっと鬱病気味の英語教師に飼われてやがるのだが、猫の分際で人間以上に人間の本心を読み取るのである。
おまけにどこで読んだか知らないが、小難しい文学なぞにも通じていて哲学的思想に浸り、俗世間で右往左往する人間どもを彼方の天空から見下ろす神のごとく、冷静に主人やその他の人間を見つめ続けるのである。

こいつ以外にも猫は登場する。
こいつを「先生」と呼ぶ三毛子という雌猫や、下品で無教養で粗暴極まりない「車屋の黒」というでかい黒猫である。こいつもさすがに黒のことは恐くてしょうがないらしい。

猫の視点から、人間の生き様を風刺的に描いた大変ユニークで質の高い傑作と言えよう。

ちなみに我輩は登場しない。
ポチなんて犬は、多分登場しなかったと思う・・・。

まあ、気になったら最後まで読んでみてくれたまえ。
では失敬。 司馬さんが坂の上の雲を書く上で、主人公を”明るさという点で子規を選んだ”と。
 選ばれなかったのがこの漱石だったんですね。

 まさか今から１００年以上前の小説がこんなにも可笑しく、共感できるとは。

 明治期の文人知識人たちの鬱屈が目にみえるようでありながら、諧謔味のあるユーモアの数々数々。

 逆に言ってしまえば私たちは、その形而上的な、精神的な段階、１００年前から大して進歩していないのでは。と、思わせるほどのこの現代との一体感はなんぞ。

 活字で笑わせていただいたのはさくらももこ、リリーフランキー以来。

 旧千円札の肖像金之助氏の栄誉を今一度讃えたい。あなたは素晴らしい。素晴らしいが、ちと博覧強記に過ぎたということか。理解者がおらず、寂しくもあっただろうと思います。
ワガハイハ、ドブ猫である。 名前はもともとない。  今日も、私の主人は、パソコンに向かっている。  我が輩と同じく主人は、夜によく活動している。  全く、人間は気楽である。 時々部屋に散乱する物の中から、食べ物をいただく。 そして私はゴミ箱の中で一眠りする。 ゴミ箱の中は白いくしゃくしゃ、ふわっとした物であふれており体を滑り込ますとふわふわなのである。 ある日、主人が急に動かなくなった。  私はついに部屋の外にでたが、溝に落ちて目の前が真っ暗になった。 ・小泉八雲、高浜虚子が出てきます。
 ・「送籍」なる男も会話に出てきます。
 ・自殺志願をユーモラスに描いてます。
 終盤では、漱石特有の問題（そう、あの個人の自我や我執の問題）が顕になり、やはり漱石の小説なんだなあと感じさせられます。
 ・ベースボールを一種の砲術のように感じるといったところ、日本の近代化を日常的な面で感じるところです。
 ・漱石の言葉遊びも実際に発見できました。
 ・何年か前、批評家が言っていた漱石の凄い所、すなわち「芸術の消滅」を語っている部分、それも見つけました。みんなが自分のことしか考えないから、芸術や夫婦などの、複数人物あってこその社会的な活動もなくなってしまうというわけ。
 ・当たり前のことだけど、猫がこんな文を考えたり書いたりはできない。それなのに作品として成立しているというのが、漱石の、同時代の風潮を超越したところです。岩波文庫のこの試みは成功していると思えます。
日本文学の雰囲気をできるだけ壊さず、
手に取りやすくすることで、
国語の時間以外に、日本文学の素晴らしさを
確認できるチャンスを与えてくれてますよ。

難しい漢字にルビが振ってありますが、できるなら
同じ漢字が出てくるたびにルビを振って欲しいことと、
注釈は、巻末にまとめることなく同じページに添えられたら
確認するのも楽で便利だろうと思います。


夏目漱石の軽妙な言葉遣いを損なうことなく、
とても読み易く、丁寧に作られています。
さすがは夏目漱石と唸ること請け合いの傑作です。


まさか、吾輩と称する猫がああなるとは・・・。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/17/4101010196.html">
<title>明暗 (新潮文庫)</title>
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<description>「門」の次に，ほぼ３０年ぶりに「明暗」を読み始めた。
やはり，漱石の世界に引き込まれる。いうまでもなく漱石最期の未完の小説である。大正5年に朝日新聞に掲載されて漱石の死とともに終わった。そして我が敬...</description>
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「門」の次に，ほぼ３０年ぶりに「明暗」を読み始めた。
やはり，漱石の世界に引き込まれる。いうまでもなく漱石最期の未完の小説である。大正5年に朝日新聞に掲載されて漱石の死とともに終わった。そして我が敬愛する評論家、江藤淳の「漱石とその時代」も「明暗」を取り上げる前に自裁して未完に終わった。
漱石の著作をすべて読んでから「明暗」を最後に読もうと決心していたが、水村美苗氏の「続明暗」を知り、それを読むために禁を犯して漱石の「明暗」を読むことにした。

「明暗」は未完であるにも関わらず、かなり長く、登場人物も多く人間関係も複雑である。そして人物の登場の仕方も実に自然で巧みに演出されている。例えば、重要な人物である清子はかり後になってさり気なく登場する。複雑な人間関係を理解するためには家系図のような図式化も必要となるほどである。小説技術としては将に円熟の境地なのではないか。

物語は津田とその妻、お延そして遅れて登場する清子を中心に進む。津田は他の漱石の小説に登場する高等遊民的な人物であるが、お延、清子そしてお秀、吉川夫人等々、極めて個性的な女性像として描かれる。この辺り、漱石の小説もそれまでのものと雰囲気がかなり異なり、大正時代の思想の影響を強く受けている印象がある。
この小説は未完であり、この先どう進むのか興味深い。さて、これから水村美苗氏の「続明暗」を読み始めることにしようか。

余分なことながら。
この文庫には極めて詳細な注解が付いている。これは有り難いのであるが、ごくありふれた語句にも辞書のような注解がある。なにか特別な意味があるのかと確認することになるので煩わしい。中高生が読むのであっても辞書を用意すればすむことである。本当に必要な語句に注釈は限った方がよいと思う。
漱石といえば、私も中学・高校生の頃に、猫、ぼっちゃん、三四郎、こころ、草枕を読んでいるが、それ以来、すっかりご無沙汰していた。

漱石の遺作である本書を、それこそ40年ぶりに読もうという気になったのは、最近、松本清張の「ゼロの焦点」を読んで、物足らなさを感じたからだ。
新婚早々の夫の突然の失踪を、新妻の視点から心理描写している前半は、未知の夫に対して揺れる妻の心がなかなかリアルにに描かれていたのだが、
後半の殺人事件発生から、急にリアリティが失せてしまった。

新婚の夫妻を取り巻く、男女の未知なる部分をめぐる描写をしたものを探していたら、偶然、漱石晩年の「明暗」に行き当たった。

小説冒頭、いきなり主人公の「痔」の診察場面からという導入（漱石自身も体験者）もすごいが、本書は読んでいてまったく古さを感じさせない。

ただし、新潮文庫の裏表紙の「あらすじ」は、後半のストーリー展開のネタばれで、これは書きすぎでしょう。
おまけに、巻末注がたくさんついているのはいいが、明らかに高校生レベルを意識したと思われるような注には、ちょっとしらける。
（たとえば、「陳腐＝ありふれていて古くさいこと」）本書は中学・高校生が読んで、わかるような本ではない。

この本は、既婚の大人、それもできれば（倦怠期の来た？）中年の読者にぜひとも読んでもらいたい。

私の印象に残ったシーンは、津田が、昔の別れた彼女を伊豆の温泉にたずねる中で、夜の迷路のような湯治場旅館の廊下でひとり行き先に迷うシーンである。
まるでサスペンス映画を見ているようような戦慄を覚えた。

今は、遺作の「明暗」から、発表年代の逆に読破してみようかなどと、あらぬこを考えている。

漱石は最後の未完の小説で近代人の俗物心理を、まるで動物たちを観察する視線で眺めた（『吾輩は猫である』の猫のように）。それが徹底的で、執拗であった。こうした近代の俗物性を克明に表現することによって漱石は何を意図したのだろうか？ 日本人の西洋化してゆく姿のおぞましさを暴いたという人もいる。その姿はわれわれ現代人とはたして違っているだろうか。主人公の津田、その妻のお延、津田の妹お秀、津田の友人小林、津田とお延の仲人たる吉川夫人、お延の叔父たちなど強烈な個性が放つ明治時代の俗物の徹底した心理の描写を通して、漱石は、自己の空虚さ、つまり他の思惑によって動く自己の思惑がさらに他の思惑を動かすというゲームに没頭する自己中心性の無さというものを暴き出した。常に自己という存在は他者との差異、関係の結果でしかありえない。

 ここには再生があるのだろうか？ あるいは漱石はその再生を描こうとしたのだろうか？ それとも劇的な死が待ち受けているのだろう？ 未完となった本書の謎は謎を誘う。それぞれの心を弄びながらしかも弄ばれる悲喜劇の登場人物たちは果たしていかなる運命を背負うのだろうか？

一抹の希望は清子の存在だ。いや希望と言えるのかどうか、清子はひょっとして近代人を逃れる素質を託された女性かもしれない。お延やお秀や吉川夫人などとはやや趣の異なる性格をもったこの清子という存在は、物語の行方を大きく左右したかもしれない。


夏目漱石最後の長編作品であるが、対話調なので快調なテンポで読み進むことができる。未完とされてはいるが、主人公津田がはじめに交際していた女・清子との関係は明示されており、作品の理解には殆ど影響がないといえよう。
新聞連載長編小説の傑作として、高く評価されてきた作品である。

現代のサラリーマン社会の日常から推していちばん分かりにくいところは、主人公の津田が何の働きもないのに京都の親元から送金があったり、妻のお述が叔父の岡本からお小遣いをもらってくる件あたりと言えよう。
お述と叔父にあたる岡本や藤井らとの人間関係描写が、現代の目で見ると実に曖昧模糊としている。もっとも、契約社会からかけ離れ ぐずぐずわけの分からない態度で日々明け暮れるいる様子こそが、明治時代の生き様をよく表現し得たということになろうか。

有閑階級ともいえる主人公をめぐる人間模様の中に割り込んでくるのが、無産階級に属し朝鮮行きを仄かす小林である。小林は作品全体のアクセントとなっており、登場人物像が広がり現実社会との繋がりに幅と緊張感をもたらしている。

小説全体は入院治療を巡っての津田とお述の日常対話や交友関係を中心に進行してゆくが、それは漱石自身が痔の手術（2回目は40歳の時）や胃腸病の治療で入院した体験を反映したものであろう。医療技術の進んだ現代では痔の手術など耳にすることなどなく、蛸壺式の便所と水洗でウォシュレット付トイレとの差は歴然である。この物語の展開を見て、社会の仕組みそのものが大きく変わったことを実感した次第である。

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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/18/4101010188.html">
<title>文鳥・夢十夜 (新潮文庫)</title>
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<dc:date>2010-03-10T20:42:09+09:00</dc:date>
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<description>表題作の文鳥を読んだとき、独特で新鮮な感じがしました。
読み終えた後、何とも言いようのない悲しさみたいなものが残りつつ、
次の作品に移りました。
ただ、私にはちょっと合わなくて、作品の半分まで読んだ...</description>
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<![CDATA[
表題作の文鳥を読んだとき、独特で新鮮な感じがしました。
読み終えた後、何とも言いようのない悲しさみたいなものが残りつつ、
次の作品に移りました。
ただ、私にはちょっと合わなくて、作品の半分まで読んだのですが、挫折してしまいました。
１作品、１、２ページで終わるものが多くて、しかもとりとめのない話のように感じてしまい、
読欲がうまれてこなかったです。

あと半分は、また気が向いたら読もうと思っています。
「小品」と云われるジャンルが合わないのか、他の長編を読んで決めるまでの
気持ちにはまだちょっと時間がかかりそう。

こころ、とか読んでみたいなと思っていたのですが、
いずれ、リベンジしてみたいと思います。

(2009.4読)
かつて生き物を飼い殺しにした経験のある私は、
「文鳥」を読んでみて、昔の古傷を抉られたような心持ちになりました。

飼っている内にだんだん世話をするのに飽きてくる下りには共感しました。
でも漱石先生は世話に飽きてしまってからも、やけに事細かに鳥籠を観察していますよね？
そんなに事細かに観察するくらいならちゃんと世話すればいいのに、と思ってしまったり。
飽きたら観察するのも嫌になりませんかね？

描写力云々はケチの付けようもありません。
しかし前科者の私が言うのもなんですが、
文鳥を昔自分が好きだった女になぞらえた挙句に飼い殺し、責任を家の人に転嫁する、
という筋書きは趣味がいいとは思えませんでした。
偉い文学者であれば、生き物を飼い殺しても全然構わないのでしょうかね？「思い出す事など」（33編）と「変な音」（2編）では、明治43年8月修繕寺滞在中に胃潰瘍で吐血し、人事不省に陥ったの体験が描かれている（明治43年8月〜明治44年は朝日新聞への連載小説執筆はなく、その折のエッセイ）。

栄養摂取、消化薬、ペインクリニックなどが発達した昨今からみれば、想像できない程の医療技術の格差があり、骨や関節の痛みに耐えられない病臥中の漱石の苦痛の表現は生々しくも痛ましい。
新聞報道を見て友人知人からたくさんの見舞電報が届けられたのに励まされ生き延びれたという述懐もあり、長与胃腸病院の医者や看護婦の懸命の治療と看病への感謝、鏡子夫人との対話、朝日番記者の動きや裏話が 死線を彷徨った文豪の筆で語られている。

小説家というより思想家や心理学者のように透徹した観察と思考を通じて、大胆な表現で小説やエッセイを次々と発表していった漱石の源泉を知るのに欠かせない 興味深いエピソードがびっしり詰められている。

本書（新潮文庫）には、他にも「永日小品」「手紙」などが収録されている。
あらすじ；
主人公が文鳥を飼い、世話をしつつも、徐々に億劫になり、死なせてしまう。

感想；
結晶のような小説という印象を持った。
十分な世話をしてやれていない文鳥に対して何度も「すまない」と思うも、また同じことを繰り返す。「私」の文鳥に対する心情は、かつての恋人の心の内を察してやれなかった自身の鈍さへの後悔から来るのであろう。しかし、結局文鳥は自らの不注意から死んでしまう。
昔の恋人と文鳥、昔の「私」と今の「私」が二重写しになり反射する。
文鳥の瑞瑞しい描写、非常に簡潔で精緻な文体もそのような印象を強めた理由の一つである。作品によっては「おもしろい」と思えるものもありますが、
全体としては「よくわからない」とう感想しかありません。

楽しみ方があるのかも知れませんが、
それを知らない人は途中で読むのをやめるのでは？

『夏目漱石』という名前が無い場合、
これほどの高評価につながるのか･･･少し疑問が残ります。

私自身のレベルの低さが、楽しめない原因かもしれませんが、
個人的な評価としては星３つとさせていただきました。
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<title>斎藤孝の音読破〈1〉坊っちゃん (齋藤孝の音読破 1)</title>
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<description>「坊っちゃん」という短めな小説の割に厚い本だな、と書店で手に取って見たところ、
文字の大きさやふりがななど、小・中学生時代の教科書を思い出させる体裁に思わず懐かしくなり買ってしまった。

学生時代を...</description>
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「坊っちゃん」という短めな小説の割に厚い本だな、と書店で手に取って見たところ、
文字の大きさやふりがななど、小・中学生時代の教科書を思い出させる体裁に思わず懐かしくなり買ってしまった。

学生時代を思い出し、声に出して読んでみると、止まらなくなる。
正直漢字だけでは読めない言葉も、細かく振られているフリガナのおかげで詰まることなく、
すらすらと読んでいける。まさに音読だ。

読むことだけに夢中になって、内容を大して理解せずに読んだりしてしまったり、
フリガナに気がいって言葉に詰まったりもしつつ、なんとか読破すると、清々しい気分になった。
目と耳と口をフル活用しているので、ふと気がつくとすごく集中している自分自身に驚く。

ボキャブラリーも心なしか増えた気がするし（？）、ぜひ同シリーズの他作品も読んでみたい。 よく子どもの好きな本を読ませることがベストだという。しかし本になじみがなくどの本が好きなのか分からない子も多数いる。

 手始めに何を読んだらよいのか分からないという方にお薦めしているのがこちらの「音読破シリーズ」です。夏目漱石、宮沢賢治といった文豪の著作の中で小学生でも分かりやすい題材が大きな文字で書き記している。声に出しながら、目で読む。文章にひさしんでいくにあたり一番良い方法だと思う。一冊、読破するのに五、六時間と解説ではなっていますが、
慣れればその半分の二、三時間で音読可能です。
坊ちゃんの中には日本語の基礎である、学校で学ぶべき
文章力が全て入っています。
『脳のギアチェンジ。高速回転になると脳が鍛えられて
集中した状態を続けることができるようになります』
集中力を維持していきたいと願っている方達にも最適な教材となるでしょう。
一日三十分でも続けて読むことが未来を作り出します。
何もせずに集中力がない、日本語が難しいと言っていては成果には繋がりません。
坊ちゃんは会話トレーニングにも最適です。
と言う私はさほど日本語が上手でもありませんが、続けていくことに意味があり、
挫折などに意味はありません。
これを機会にアナウンサーのような音読スポーツを楽しんでみるのも良いのでは
ないでしょうか。中学1年生の授業で、数ページ音読して聞かせました。

意外だったのが、生徒達が大爆笑して大喜びしたことでした。

考えてみれば、それを「意外だ」と感じてしまった

私の感性の方が鈍ってしまっていたのでしょう。

とにかく小中学生でも読み通せる工夫が随所にあり、

絶対に文庫本よりもおススメです。

読書嫌いの子ども達には、最初大人が読み聞かせてあげるのも

良いと思います。この本は、音読のために編集されており、文字も大きく夏目漱石のリズムを吸収するのにとても役に立つ本です。音読ということで子供に聞かせたり、音読することで自分での理解が増したりと黙読にはない味わいがあります。今まで、ページ数の少ないものしか音読していませんでしたが、このくらいのボリュームになると結構達成感があります。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/20/4101010099.html">
<title>草枕 (新潮文庫)</title>
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<description>漱石先生の語彙の豊かさ、見識の広さ痛いほど伝わってくるが、話としては恐ろしくタイクツである。
絵師を自称する三十路のオッサンがゆったりまったり動きながら思索に耽るだけの話である。
登場人物の会話以外...</description>
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漱石先生の語彙の豊かさ、見識の広さ痛いほど伝わってくるが、話としては恐ろしくタイクツである。
絵師を自称する三十路のオッサンがゆったりまったり動きながら思索に耽るだけの話である。
登場人物の会話以外の箇所の大部分は、詩的叙景文に随想を加えたような文章である。
物語のスパイスとして那美さんがいるものの、全体的なタイクツさを揺るがしてくれるほどの存在ではない。

この作品の存在意義については、あとがきを読めば十二分に腑に落ちるのであるが、
私にはどうしても、ほとんど動かない物体に対する骨董趣味的な視線が薄気味悪く思えてならなかった。

この作品を心から良いと思えるようになったら、その読み手が骨董趣味を解する齢になった、ということなのだろう。
十代、二十代で良さが分かってしまった読者は、早くから人生に疲労していることになるのであろう。
それくらいタイクツで脱俗的で骨董趣味的な小説だと感じた。小学生の頃に読んで，ちっともわからなかったが，ようやく少し理解できる年齢になったのかも。しかしこの小説が１００年以上にもわたって読み続けられる理由は正直まだわからない。

日本の風景の美しさが文体の美しさを通して滲みだすと言えばよいのだろうか。
太宰治の「津軽」には，日本人と日本の自然の暖かい美しさが描かれていたが，「草枕」の美しさはそれこそ絵に描いたような乾いた美しさだ。
物語の軸に常に老荘の思想があります
これを読んだ後私はこの本のよさを
人に説明することができませんでした
ですがこれは嫌いだからじゃなくて
やはり無為自然といったことをテーマにしておりますので
そのよさを理論付けして説明する必要が無いのでしょう
三〇ページにわたる注は気分がなえますが
諦めないで下さい
そこが鍵です

 この小説の出だしは有名であるが、手にとる機会がなかった。今回本書を読んでみると漱石の和漢の素養が改めて知らされる。幕末・明治時代は東洋（和漢）の知識を持った人間が、西洋（英、独、仏等）の知識を吸収、積み上げたのだろう。双方にまたがった教養ではかえって現代よりも知性が高いように思える。だから、漱石は読み継がれているのだろう
 主人公と那美との会話は洒落ていて、含蓄が深い。最終章は戦争にも言及している。「こころ」とは趣きが違うが、漱石の文章作法等変化を知ることが出来ると思う。有名な冒頭の文章は殆どの人が暗唱できるほど知られたものと思う。しかし、「草枕」はそれほど長くないにもかかわらず、最後まで読んだ人は少ないのではないか？ 恥ずかしながら還暦をとっくに過ぎた小生もその一人である。「非人情」の世界の小説、俗界を離れた仙人のような生活を賛美した小説かと思い込んでいたら、どうもそうではないようである。
そしてこの小説に表れた漱石の漢籍や江戸趣味に対する素養、それに専門の英文学に対する薀蓄は大変なものである。注を参照しないと解らないことも多い。しかし、この小説が素養や薀蓄をひけらかすのが目的でないことは次第に解る。

草枕については、多く評論家、そして本カスタマーレビュアーの評価・解釈があるが、一点だけ私見を述べてみたい。即ち漱石の「西欧を規範とした近代化に対する呪詛」である。それはこの小説の最後に表れる主人公の独白に明瞭である。もう一度、読み直してみて欲しい。

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