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<title>縄文聖地巡礼</title>
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<description>坂本龍一さんと中沢新一さんが縄文聖地を旅しながら対談した本ということで、早速購入。内容は期待通りで、写真も美しく、対談の内容も幅広くてあっという間に読んでしまった。とても良かった。

ただ、ひとつ難...</description>
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<![CDATA[
坂本龍一さんと中沢新一さんが縄文聖地を旅しながら対談した本ということで、早速購入。内容は期待通りで、写真も美しく、対談の内容も幅広くてあっという間に読んでしまった。とても良かった。

ただ、ひとつ難点がある。それは本のつくり。イメージ写真だけではわからなかったが、この写真は本が入っている箱。中の本体は表紙がすごく薄い紙質。一応本体にカバーはかかっているが、それもぺらぺら。気を使って読まないと、表紙が直ぐに折れてしまいそうだ。何とかならなかったのだろうか。のり付けも初めて見るやり方で、ページが思い切り開いてしまうつくりなので、すぐにページごとばらばらとはずれて来そうではらはらした。立派な箱は要らないので本体をしっかりしたつくりにして欲しかった。内容だけなら星5つは間違いなしだが、本のつくりがあまりにも…なので、星3つ。
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<title>こころ (新潮文庫)</title>
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<description>非常に考えさせられる一冊でした。

一通り読み終わっても、半分程度理解するのがやっとでした。
難しいというのではなく、何かモヤモヤするものが残り続ける印象を受けました。

本編では「先生」や「K」が...</description>
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<![CDATA[
非常に考えさせられる一冊でした。

一通り読み終わっても、半分程度理解するのがやっとでした。
難しいというのではなく、何かモヤモヤするものが残り続ける印象を受けました。

本編では「先生」や「K」が主人公と親しんでいき、また、彼を苦しめます。
「こころ」を自由にコントロールすることは本当に難しい。
さりげない「こころ」のやり取りが、こんなに深い結末を迎えるとは感無量です。漱石しか書けませんね。音があります。一定のリズムが心地よいです。いつまでもつづけばいいのに。僧侶が一生をかけて追求する無の境地。余計な邪念を払ってくれます。読み手を尊重してくれるから品があります。こういう作家いないな。名作、今更ですが読みました。
時代背景はもう遠い昔のお話しですが、この小説は古く感じられません。

この小説の注目すべきは、醜い感情にも共感してしまうというところだと思います。
夏目漱石が、人の弱さや醜さに真摯に向き合って、飾るとなく哀しんでいるかのようです。

揺れる感情が人としての品格との間で葛藤を起こしている間に、ストーリーはこぼれ落ちるかのように展開してしまう。
人はとりかえしのつかない時間の軸を生きていているということを知る事ができます。
そして、どう生きるかには本来、正解も不正解もないはずだけれど、その時に抱いた己のみが知りえる自分の思考の未熟さに、自責を帯びる。そんな苦悩を十分に知ることができる作品です。この作品は三章で成り立っています。一章は抽象的な伏線を張り。二章で繋ぐ。三章では伏線回収とその概念を膨らませる。単純に分けるとこうなりますが先生のこころの様相は三章を読んでから一章を読むと良くわかるでしょう。彼がどんな思いでこの発言をしたのか、 そんな風に考えながら三章を踏まえて一章を読み返すと、先生の言っている言葉の意味が、初見とは違い表面の意味以上に取れるかもしれません。僕は先生を責める気には到底なれませんでした。あまりに気持ちが解るから。この作品に初めて出会ったのは高校生の頃。
感想文の宿題に出され仕方なく「義務」で読むのは大変苦痛でした。
にも拘らず読み終えた後なぜか気に掛かって
いつか機会があればゆっくり再読したいとずっと思っていました。
あれから約２０年。やっと本日１日かけて再読する事ができました。
高校生で読んだ時よりずっとすんなりと自分の中に入ってきたのは
歳月の流れとともに重ねて来た人生経験のせいもあるでしょう。
「こころ」とは自分のものなのに自由に扱うことのできないもの。
理性で考えて「あたま」で納得しても「こころ」は必ずしも
「あたま」のように納得してくれるとは限らない。
そしてまた、周りの環境によって形すら勝手に変えてしまう。
そのために人は苦しみ、悩むことになる。
人間の心の本質を「私」と「先生」そして「Ｋ」という
３人の登場人物を通して作者なりに表現したのがこの作品。
作品の最後があまりにも唐突に終わっている感がありますが
それは作者が考える「こころ」の本質を描ききった以上、
これ以上、言葉を継ぐのは不要であったという事でしょう。




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<title>坊っちゃん (新潮文庫)</title>
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<description>「親譲りの無鉄砲で小供のときから損ばかりしている」という冒頭はご存知の方も多いでしょう。文豪の代表作ということで堅苦しい小説という先入観がありました。
しかし読み始めると、話の展開が早くて文章全体に...</description>
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「親譲りの無鉄砲で小供のときから損ばかりしている」という冒頭はご存知の方も多いでしょう。文豪の代表作ということで堅苦しい小説という先入観がありました。
しかし読み始めると、話の展開が早くて文章全体に勢いがあり、一気に読み通すことができました。そのストーリーは主人公「坊ちゃん」が悪役「赤シャツ」に一泡吹かせるというもの。その主人公もかなり無茶苦茶をやっており、正義のヒーローという感じではありません。そのため共感する人とそうでない人に分かれるようです。私は主人公の無鉄砲な行動に、共感と抵抗とを同時に感じました。相反する感情が共起したのはどうしてか。単純な完全懲悪モノに終わらず、考える材料を投げ返してくれた小説でした。計算や反省でなく自分の信念を貫いた主人公。 

紆余曲折の末に、自らの主義に従い帰郷する。主人公に帰る場所があるが故の行動であったのかもしれない…。言わずと知れた夏目漱石の代表作のひとつであり、中高生にとっては必ず読む本といってもいいかも知れません。小説の入門書という感じですし、夏目漱石こそ小説家の代表でありますので、やはり、その作家の代表作であるため、日本人であれば、必ず読むでしょう。松山と言えば今は、坂の上の雲で話題となった、秋山兄弟や正岡子規が少しブームですが、決定的に有名にしたのは坊ちゃんであり、夏目漱石でしょう。最近では、｢鹿男あをによし｣も坊ちゃんの話をモチーフに作られています。先生と悪戯な生徒。武田鉄矢の金八先生、中村雅俊のゆうひが丘の総理大臣等のこの本の影響が残っているのでしょう。ドラマで学園ものが流行るのもこの小説の影響だとおもいます。子供の頃には、当時の時代背景等もわからないままに単に面白い学園ものの小説のように思いましたが、今は時ものもあり、松山の当時の様子も生き生きと描いております。道後温泉はいろいろな影響を与え、市電もバンバン走っています。ひっそりとしたターナー島（おそらくそうでしょう）もあり、気がつけば、東京ラブストーリーのロケとなった駅も発見してしまいました。いろいろな逸話を想像させることがあり、夏目漱石が松山にいたことにより、正岡子規との掛け合い漫才のような時期もあったのを思い返せます。今は読み返す気もないですが、ドラマ（中村雅俊、岡本信人等）、アニメーション（モンキーパンチ原画）等もあり、楽しみました。都会から田舎へ、また手紙を読む形で物語を展開する等の手法ものちの作家にも影響を与えており、文体も生き生きとしており、ストーリーが読み切れない｢吾輩は猫である｣とは違い、読みやすく、単純、明快である。一部分ではサスペンス的なタッチもあり、人間の裏表もあらわし、ハッピーエンドチックでありながら、何か虚しさも残す等、辿りやすいです。子供は勝手に読むでしょうけれども。
不思議とこの本を人生の一冊とする人は見当たらないようです。｢こころ｣｢三四郎｣｢草枕」等が心にしむ？のでしょうか。ちょっと気恥ずかしい感じがあるのかもしれません。位置づけが実は難しい小説かもしれません。大人になった今、改めて文学に挑戦しようと思いましたが 読みどころが掴めずに終わってしまいました。 表現が難しかったり、 登場人物がぐちゃぐちゃに なってしまったりと、途中何度も挫折しかけました。 いつかまたリベンジしようと思います。今まで読んだ漱石先生の作品の中では一番好きである。

赴任した土地に全く馴染めず、人や物に不満たらたらの坊っちゃんに妙に共感した。
こんな田舎嫌いの先生に来られたら土地の人は堪ったものではないと思うが、如何せん人間田舎は嫌なのである。
適応力の有無に関わらず適応したくないのである。気持ちは凄くよく分かる。そうさせるのは江戸っ子の矜持なのだろうか。

無鉄砲な江戸っ子である坊っちゃんも、漱石先生ならではの神経質な性格を示しているが、
他作品における神経質さほど気にはならない。
むしろ今作独自の不思議な愛嬌を帯びているように感じられる。

坊っちゃんが復讐を遂げて松山を逃れる最後も哀愁漂っていて良かった。
清への細やかな情愛にも好感が持てた。
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<title>行人 (新潮文庫)</title>
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一郎さんて結局どんな人なんだろうってぼんやりと考えてみました。
たぶん、奥さんの事がとても好きなんだろう。
でも、うまく好きって伝えれないんだろう。
そして、奥さんが自分の弟と仲...</description>
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<![CDATA[
読んでみました。

一郎さんて結局どんな人なんだろうってぼんやりと考えてみました。
たぶん、奥さんの事がとても好きなんだろう。
でも、うまく好きって伝えれないんだろう。
そして、奥さんが自分の弟と仲よくって嫉妬したりする人なんだろう。

一時はテレパシー開発なんかに凝るほど、愛しているんだろうね。

そして、
あまりにも愛している。
あまりにも好きなのに奥さんの気持ちが自分（一郎）を愛しているのか？
それとも
愛していないのか？
解らないっていう気持ちから、その気持ちが一郎の職業柄
愛するとは何か？
とか
人間とは何かという哲学的なことを考え始めるんだね。
それも、真剣に。

普通の人は悩みに悩んだら、
もう、悩んでも解らないから、
「神様、どうか助けてください！」
って宗教的になる場合もある。

でも、
一郎さんは、「その神様って何かね？」
神の存在まで哲学的に考えていこうとする。

しかし、
この神をテーマにした考えは
そう理性では決着がつかない。

…
まあ、一郎は、奥さんの愛の葛藤から哲学的になり、懊悩している人って感じかな？明治の昔から女性の中にはこんな冷たいタイプの人がいて、頭でっかちの男はそんな女心でも理解できると思い込み、理解しようと焦るあまりにかえって地雷を踏んでしまうようなことになっていたのだと思うと、なんかもう、やたら同情を禁じ得ない。
一郎が、鏡子夫人に頭を悩ませる漱石自身を描いたものだとしたら、「オレもそうだよぅ」と漱石氏と一緒に飲みに出かけたくなるような本でした。漱石晩年の3部作の第2作、「明暗」の前作とされる、脂の乗り切った時代の
傑作である。小説というよりも、心理学者の分析もしくは思想家の提言のように感じとれた。

「自分」は弟・二郎であるが「兄」・一郎は漱石自身、「嫂」は漱石の妻・鏡子がモデルと思われ、理知的な態度、はきはきした言葉使いは自尊心の現れであり、自立した個人主義像のお手本のごとく描かれている。
大正2年朝日新聞への連載途中で胃潰瘍で5ヶ月中断したようだが、再開後（最終章「塵労」とされる）は風景・人物描写ともに無駄がなく筆の冴えは見事という他ない。三沢からの手紙（兄との旅行の報告書）で兄を行状や心境を知った当時の読者の驚きはいかばかりだったろうか。

漱石が男女の人生観や心理描写に冴えみせ、感慨をもって書き記したと思われる箇所をいくつか列記しておこう。

 [ 「兄」四十一 ]
「時たま本当の父や母にむかいながら嘘と知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものはひとりもいないと諦めていた。」

[「帰ってから」五 ]
「この年になるまで子供をあやす技巧を覚える余暇（ひま）がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にする為に、どうしても必要と見えるね」

[「帰ってから」十九 ]
「男は情欲を満足させるまでは、女よりも烈しい愛を相手に捧げるが、一旦事が成就するとその愛が段々下り坂になるに反して、女の方は関係が付くとそれからその男を益（ますます）慕うようになる。」

[ 「塵労」四 ]
「男は厭になりさえすれば二郎さんみたいに何処へでも飛んで行けるけれども、女はおすは行きませんから。- - - 妾（あたし）なんか丁度親の手で植え付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、 - - - 凝（じっ）としているだけです。 - - - 」

自分の頭脳に絶対的な自信を持ち、他者に厳しく潔癖な一郎。
その一方で、楽天的に生きているような人間を心底羨ましいと感じている。
「私以外はすべて阿呆」というこの一郎のような心境は、
程度の差こそあれ、現代人は抱えているのではないだろうか。
都市化し、多くの情報が溢れ、体験を伴わなくとも分かった気になれるし、
ボタンを押すだけで多くを実現できる便利な生活は、万能感を持ち易いが
その一方で多くの自殺者や鬱病・神経症患者を産んでいる。
一郎は少し先取りしただけで、今の人と同じなのかもしれません。
主人公を、知識人の悲劇・孤独などと解釈するのは簡単ですが、
今の日本人と対比して読んでみた方が、得るものがあるように思えた作品です。夏目漱石できちんと読んで今も覚えている（内容やあらすじ程度ですが...）のは「こころ」と「抗夫」だけなのですが、この「行人」も面白かったです、というか考えさせられる文章でした。 


学問に生き、何事にも本質的な哲学的な見方をし、常に懐疑的な兄一郎を、その弟でのんびりした、ひょうきんな男二郎から見た兄弟、親子、妻や子供などの家族的問題を描いた作品です。前半部分では大阪に友人を訪ね、様々な家族としての用事を片付けている弟二郎に、兄一郎とその妻の直、そして兄弟の母の３人が旅行として合流したところから物語が流れ出します。どんな物事でも真剣かつ懐疑的な兄一郎が妻である直を無条件に信じることが出来ずに苦しみ、二郎にその苦しみを告白し、助けを求めます。その助けとは...。というのが導入部分なのですが、物語の途中で有名な漱石の喀血により中断した新聞連載小説です。 


この中断に私は物語の前半と後半の違いを少し感じました。前半の兄の懐疑からくる苦しさは妻に向けられていたものだったのですが、それが後半部分ではかなり広い範囲に波及していきます。その辺の違いに（前半と後半の語り手二郎の受け取り方にも）、少し病気による中断が関係あるのか？と私には感じられました。 


文体もなのですが、まず、圧倒的に文章が上手い。非常に奥行きを感じさせる文章でそして物語のテンポは今現在の私からすると非常にスローモーであるのに、テンポが悪い、遅いとは感じさせません。丁寧に一つ一つエピソードなり必要な物事を、描写を、重ねて行きます。堀江さんや金井さんなどの思考中の頭の中のセンテンスに区切れの少ない文章で感じさせるヒロガリとはまた違った、空間的なヒロガリを感じさせます。非常に面白く読めました。 


私が１番気になったのは兄一郎の考え方よりも、その妻である直の考え方です。実践的かつ合理的で、多くを望まず、しかし覚悟はしていて、それを貫き通す。またその信条をおおっぴらにするのではなく、必要な人に、必要な時に、伝える事はするが、それ以外では軽々しく口外しない。そんな嫂（アニヨメと読みます、語り手二郎からすると一郎の妻は嫂なのです）が特に惹かれる登場人物でした。 



もちろん主人公の（物語の、というより主題としての）一郎の悟りを求めるそのひた向きさにも、狂おしいくらいのものがあって良いのですが、少し硬くな過ぎる部分が多く、有名なセリフである「死ぬか、気が違うか、それでもなければ宗教に入るか。」という部分も私にとってはちょっと求めすぎなのではないか？適度という言葉が理解できない苦しさは分かるにしても...と感じてしまいました。それでも何かしら心惹かれる人物です、兄の一郎は。お坊さんの香厳（きょうげん）という方の全てを投げ出した後に石と竹の当たる音で悟りを開くという「一撃に処知を亡う（うしなう）」というエピソードに心惹かれる兄一郎が私には少し理解できるような気もするし、そこまでを求める強欲さともられかねない強さをちょっと敬遠したくもあり、さすが主人公です。私は「こころ」という作品が好きなのですが、其処へ至る小説なのだと理解しました。物語の切り方をとってもそうですし。 


夏目 漱石の作品の中でも「こころ」が好きな方に、悟りを求めている方に、また一人の覚悟ある大正時代の女性に興味のある方にオススメ致します。
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<title>吾輩は猫である (まんがで読破)</title>
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<description>確かにまんが化には成功していると思う。
しかし、笑いのツボが現在のものと違う。
笑いにも歴史があり、流行があることがよく分かる。
つまり、あまりおもしろくないのである。
この内容の本が、現在出たとし...</description>
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確かにまんが化には成功していると思う。
しかし、笑いのツボが現在のものと違う。
笑いにも歴史があり、流行があることがよく分かる。
つまり、あまりおもしろくないのである。
この内容の本が、現在出たとしても、全く評価されないであろう。
やはり、この本は、名作として評価されたのは、時代の先を行く当時としては斬新であったことであろう。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/06/4061582712.html">
<title>私の個人主義 (講談社学術文庫 271)</title>
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<description>小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。
この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。

2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された...</description>
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<![CDATA[
小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。
この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。

2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された「21世紀に読む漱石」のゲスト・寺島実郎のイギリスから20世紀を持ち帰った男・漱石の話と、「私の個人主義」（1914年）の講演を声優・銀河万丈の声で聴いて内容にも魅了されました。

「道楽と職業」から、大好きな分野を個人的に学ぶ楽しさと、他人へのサービスとしての職業を考えることは、現代社会でも通じる内容です。

 漱石の『私の個人主義』は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』（1941年）、オルテガの『大衆の反逆』（1929年）に匹敵するほどの内容の講演と思います。
 時代を先取りした思想家・夏目漱石の言葉が、時代を超えて受け継がれることを祈ります。夏目漱石の講演録。小説はほぼ読んだはずだが抜け落ちていた。
感想は「見事」の一言、『草枕』の冒頭「智に働けば・・・情に棹させば・・・」を彷彿とさせる、神経質ながらも禅的、洒脱な話に聴き入ってしまった。「道楽と職業」にしても、学習院で行われた「私の個人主義」にしても、１００年前の講演とは思えないほど示唆に富んでいる。個人主義に関して、最も感銘を受けたのは次の言葉、あえて引用しておきたい。

「要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。というのは、そうした我儘な自由は決して社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるに極っているからです。私は貴方がたが自由にあらん事を切望する物であります。同時に貴方がたが義務というものを納得せられん事を願って已まないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らない積です。」

個人主義の意味を取り違えている人々が多い昨今、この漱石の言葉は貴重な遺産である。小説、評論、俳句等々、この一連の講演の精神はどの作品にも通じているように思える。

我々の仕事とは、「人よりも仕事を一倍して、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を維持するp.19ことであるから、我々は皆仕事の上では「プロ」でなければいけない。「生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしてp.138」いたくなければ「進んだってどう進んで好いかわからないp.140」中を、「仕事をして何かに掘り当てるまで進んでいくp.141」必要がある、そこで「もって生まれた個性がそこにぶつかって初めて腰がすわるp.141」ことで「幸福と安心が持たらp.141」される。自分探しでうろうろしていないで、一つの仕事をとことんまで突き詰めるべきという漱石の言葉は本当にシンプルな人生の基本を示している。夏目漱石の講演を文章に起こしたものです。

身近な題材を出して分かりやすく書かれていますが、
どんな人にも面白いと思わせるであろう高度な内容です。

特に「現代日本の開化」は平成の世になった今でも
色褪せぬ輝きをもって読まれることでしょう。
このお話の持つ現代性はものすごいものがあります。
今の日本の姿を考える際に、土台として活用できます。１００年近く前の文章なのに！！

よく学校の教科書に収録されていますが、高校時代にしっかり読まなかった方の
復習に、是非お買い求めください！！

個人的にはこの本の（学術文庫の）書体も好きです。読みやすい字ですね。

漱石の講演をじかに聴いてみたかった。生まれた時代を恨みさえさせる本でした。 高校で初めて『私の個人主義』とであって、それ以来とても好きになった一冊です。夏目漱石の日本人や日本社会に対する鋭い観察力は時代の垣根を越えて今なお生きています。現代日本は金と権力を過信し、それらを盾に物事を決めようとしています。これに警鐘を鳴らす漱石の先見性は大したものであります。
 現代社会に対して不満の持っている方、自分が何をすれば良いのかよくわからない方、こういう方々はこの本を是非一回読んでほしいと思います。
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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/07/4309400027.html">
<title>枯木灘 (河出文庫 102A)</title>
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<description>衝撃的な内容。近親相姦、白痴との姦通、、なんでもあり。
中上健次に本来ふれてほしい人にこの本は届かないというもどかしさ。
日本文学だとか文壇だとか狭いインテリだけが共有してよい財産ではない。

読者...</description>
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衝撃的な内容。近親相姦、白痴との姦通、、なんでもあり。
中上健次に本来ふれてほしい人にこの本は届かないというもどかしさ。
日本文学だとか文壇だとか狭いインテリだけが共有してよい財産ではない。

読者は内容をきちんと理解して読み進めたか？
クドいほど同じ内容を繰り返してくれなければ
他の作品と同じように読み進めることはできない。
悩みはズルズル何度も何度もどうしようもなく繰り返す。
関西弁の会話文は理解できるか？
最下層の市井の人々はまことに自分勝手にしゃべって
それで会話が成り立ってるようにしているだけ。
適当に読み進めてかまわない。雰囲気だけ感じられたらよい。





中上健次の小説を読むのはこれが最初ですが、現在までに3回ぐらい読み直して、今後恐らく再び読み直したいと思う小説の一つであります。
彼の生前を全く知らなかった私は中上氏の没後10年以上も経ってから彼の事を知りました。
インターネット上で検索して拝見することが出来る彼のエピソードや、彼と交流のあった村上龍氏や柄谷行人氏などの
作家や批評家などの対談や回顧録を通じてどんな方だったのかを追っている最中です。
今年の五月にはオートバイで枯木灘を通って新宮市に向かう旅をしました。
にわかファンなので他の作品との対比としてこの作品を批評する事は今現在は不可能です。

この作品で登場する主人公秋幸は恐らく中上健次自身を投影したと思われます。
（間違ってたらごめんなさい）
兄の自殺など、中上氏と類似するエピソードが描かれているだけではなく、紀州の最果ての地新宮、路地と中上が呼んだ被差別部落、複雑な血縁関係なども盛り込まれているからです。
それがどのように、どういう風に描かれているのか？

盛り込まれた事柄のお互いの関係性を可視化するのならば、
それらの関係性を取り結ぶ糸はとても細くて鋭利な刃物のように、少しでも触れれば切れて血が出るほどに
細くて鋭い糸で出来たものが最大限に伸張し、そして切れそうで切れない。そういった危ういバランス上のに
構築されていると思われます。秋幸が秀雄を殺害する事によってその糸は最大限に伸張し、いったんそこでプツンと切れます。
その地点がこの物語の最高点です。そこを基準点にし、前半、後半、と分ける事が可能だと思います。
前半はそういった関係性の緊張が高まりつつある様子を様々な出来事から描き出し、その到達点に一気に駆け上る形で向かいます。そこにいたるまでにも沸点はいくらかありましたが、実現するという形の到達点は唯一そこだけです。
後半はその沸騰が嘘だったかのように静かに終わっていきます。
龍造の不気味さは秋幸の秀雄殺しによって止めを刺されます。到達点以後、龍造は反省してしまい、
しおらしくなります。そして静かに物語りは一旦終わります。

何が凄いのかというのは未だうまく説明する事は出来ませんが、読めば凄いというのが分かると思います。
分からない人はあきらめずに3回ぐらいは読み直したほうがいいかもしれません。
僕も初めて読んだ時は何が凄いのか分かりませんでした。
噛めば噛むほど味が出る、そういう小説なのでしょうか？
中上健次を読もうと思う方は必読だと思います。

彼の死を境にして、日本近代文学はどうなったのかは私には分かりません。
中上の死はある意味、枯木灘の秋幸の秀雄殺しのような一種の到達点ではないだろうか？
日本文学は現在どうなってるのかはよく分かりませんが、そんなおかしな妄想を抱きながらまた枯木灘を読みたいと思います。
この作品の読後感は「カラマーゾフの兄弟」と同じ大きさであった。
「七人の侍」を観終わった後と同じ大きさ、とも言えるだろうか。
そういう比較がナンセンスなのはわかっているが、
この日本が誇るべき作家と作品を、声を大にして喧伝したい欲求にかられてしまう。

複雑で不可避な血縁にわざと背を向けるように、
主人公の秋幸は毎日太陽の光を受けてツルハシを振るうことに喜びを見出す。
単調な繰り返しが、秋幸にとっては心臓の鼓動のように、自分が生きている証となりうる。

だが、日々の単調さから来る充実も、あるきっかけで、
本来の秋幸の感情が、まるで昆虫が脱皮するように秋幸の表皮が破れて、
秋幸の真の性情が表出する。
個々ばらばらだった物や人が、一気に秋幸の肉体に向かって凝結し、
血や土地によって元から秋幸の肉体に刻印されていたかのように
人間の宿命が秋幸の姿かたちとなって浮き出される箇所は、
人間の存在意義や歴史や運命といった、人が背負って抗うことのできない業（ごう）が
秋幸という一個の人間を媒介として可視的な形となり、
作品から迸り出て読者であるこちら側に伝染し、
読者自身の心の葛藤となって心臓をつかみ、読んでいて体が震える。
まるで人間を、血管の１本に至るまで、その存在を透かし見たような興奮。

私は今でも、中上が生きていたらノーベル文学賞を授与されたはず、と確信する。 レビューにも日本文学の最高傑作と書かれている方があって、それならばと読んでみたのだけれども、確かにものすごい完成度の高い作品だと思う。自分の中では今まで読んできた小説の中では絶対にベスト３には入る。ただの近代私小説よりは構成でも印象でもこの本の方が格段に上だ。
 所謂性とか暴力、複雑な血縁関係の中から生じる苦悩などを描き出した作品。複雑、と言っても一通りでなく、従来のメロドラマの離婚・不倫・妾の子などが何重にも重なっており、ほとんど網のになっている。そこから感じる苦悩や、兄弟内の事件、自分の本当の父の肖像などが何度も繰り返し（くどいほど）語られ壮絶な中に生きる主人公の姿が目に見えてくるようだった。すべてを忘れるために土方作業に打ち込む時の鮮烈な描写も忘れられない程インパクトが強い。主人公のやりよの無い思いも簡潔な文章でありながら、ひしひしと伝わってくる。
 似た様な小説は石原慎太郎氏なども書いているが、血縁関係などをからませる中上健次氏の文章の方が私は好きだし、印象深いと思う。日本人必読、とはさすがに言わないけれども、日々の生活に不満や憂鬱を感じている人などには同感できるのではないかと感じた。興味がある人は勿論読んでみるといいと思う。何故その本を買ったのだろう？南紀での仕事があり、新宮の関係者に挨拶に行った。あの辺で仕事をするには、そんなもんだと言う。まあ、大阪でも事情はたいして変わらない。大阪から新宮まで４時間以上かかる。枯木灘の海を見ながらその本を読もうと思った。海際は風が強く木が枯れてしまうので枯木灘という。中上健次という作家がその題名の本を書いてることは知っていた。行きの電車では海の景色を見ていた。海際まで山はせまり、平らな所はほとんどない土地だ。白浜を越え、すさみから紀伊半島の先端、串本までの海が枯木灘で、串本から東の海が熊野灘という。帰りの電車でその本を読みはじめた。大阪に着いても読み終わらないので家に帰っても読んだ。午前３時をまわっていた。 本を読むことは、それを書いた人と会話することだった。読みながら絶えず「お前の話よ」と喉元にナイフをつきつけた。自分のことであれ、他人のことであれ、その本は今まであったすべてのことを思い出させた。この土地に生きながらこの土地に帰ってきたことを思い起こさせる。何日かたってその作家の生前の写真を見た。少し間違っていた。この人はナイフなんか使わない。
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<title>吾輩は猫である (新潮文庫)</title>
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<description>「文学作品だから笑えない」なんてこと、ありません。
私はこの作品を電車の中で読んで、吹き出しそうになって困りました。
ネコ踊りとか、空き巣に遭遇しちゃった奥さんの言い分とか。
皮肉を言ってるような笑...</description>
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「文学作品だから笑えない」なんてこと、ありません。
私はこの作品を電車の中で読んで、吹き出しそうになって困りました。
ネコ踊りとか、空き巣に遭遇しちゃった奥さんの言い分とか。
皮肉を言ってるような笑いもありますが、ちりばめられてるのは「落語」的な笑いだと思いました。

敬遠せずに読んでみて、損はないかと思います。
もう、なんど読んだことだろう。
小学生の時には、ちっとも面白くなかったが、中学、高校、大学、となんども読み、その面白さに引き込まれていった。
そして、中年になった今も、これを凌ぐ日本語の小説はない、と思っている。

表紙が破れ、セロハンテープで留めていたが、それすら、40年の時をへて、茶色になってしまって、はずれかけている。もうそろそろ、2冊目を買おうかと思っている。

日本文学史のなかで燦然と輝く傑作である。

若い人には、ぜひ読んでもらいたい。小学生の頃読んで、わからず、中学生の頃読んで、やはりわからず。ストーリーが理解できないのが理解できないことかと思いました。歳をとるにつれ、落語が好きになり、愚痴を言うようになり、妥協も知り、という段になって、ああ、そうゆうことかというがわかってきました。時代背景が結構重要なポイントなのでしょう。結構、夏目漱石は読んだので（キングオブ小説家と思っているため）この作品だけ、なんだかよくわからない感がありました。肩肘を張らずに楽しんで読めばよいのだな、ということであると思います。よく、作品のストーリーを簡単に紹介する本を読んでも
非常に説明しにくい小説なのでしょう。分厚いし、切れ目が切りにくいため、子供向けではないかもしれません。べいらんべー、口調で声を出しながら朗読すれば、結構楽しめます。それでも漱石の代表作ですので…。私の文章は、初期の漱石の影響を受けている。漱石の文体は、ベランメエ口調で調子がよい。本書は、『坊っちゃん』と並んで歯切れのよい口語文を書くための最高の文章読本だろう。他の人も書評で述べているが、「図々しいぜ、オイ!」がDo you see the boy?になっているのもおもしろい。明治時代の日本人の英語の発音の仕方がわかるからだ。seeが「シー」となまるのは今も同じだが、theが「ゼ」と発音するのは現在のなまり方とは違っている。boyが「ボイ」と万国音表文字通りに短母音になっているのも興味深い。寺田寅彦がモデルと言われる寒月が「ドングリのスタビリチを論じて、あわせて天体の運行に及ぶ」のもおもしろい。さすがに後世に名を残した高名な物理学者のことだけはある。日常の物品を通じて、宇宙の運行を感じとるのであるから、すごい。私と同じ感じ方だからね、ハハハハハ。小説は漱石に始まり漱石に終わると言われるそうですが、自分は、そんな前知識も無く「三四郎」、「坊ちゃん」の流れで、この本を手に取りました。そもそもの始まりは「クオリア降臨」という本の中で「三四郎」を強烈にリスペクトしていた茂木健一郎氏の著作の影響でしたが、こんなにまで夏目漱石に嵌るであろうとは思いもよりませんでした。余裕派と言われる、僕が高校生のときの教科書で一部を読んだ「こころ」などとは雰囲気を異にした、この小説の方が自分には気持ちが通じるものがありました。しかし「自殺クラブ」や、現代の女性の自立にまつわる離婚の増加などの先見性は、手塚治虫の「未来像」とは異にしたネガティブな未来像で、実際の現代にもつながっているところが、もの凄いです。現代の政府が、この本を真面目に解釈していたのならば少子化省などという政府も作る必要が無かったのかな？なんて勝手に思う限りです。本を開くと字が、ぎっしりとつまった、この小説に、うんざりしてしまう人も多いかと思いますが、どんな哲学の書よりも将来に役立つことが書かれている、物凄い書であると自分は思います。
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<title>裁判百年史ものがたり</title>
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<description>我々には、長らく、裁判官というのは、縁のないものであった。
しかし、はじまってしまった、裁判員制度。
我々が、裁く側になってしまうかもしれない。

この本は、近代におこった「大津事件」など、重大な事...</description>
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我々には、長らく、裁判官というのは、縁のないものであった。
しかし、はじまってしまった、裁判員制度。
我々が、裁く側になってしまうかもしれない。

この本は、近代におこった「大津事件」など、重大な事件１２をあげて、
裁判官や弁護士の苦悩を掘り起こし、裁判の本当の姿に迫ってくれる。
ノンフィクション作家（正確には、ミステリー作家か）夏樹静子の手になる
裁判の「物語」を味わってみるのも、物の見方を豊かにしてくれるのではないか。
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<title>腰痛放浪記 椅子がこわい (新潮文庫)</title>
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<description>この著者のミステリーは1冊も読んだことはないが、この本は実に面白かった。
私のような２，３日休めば回復する程度の痛みではなく、自殺さえ考えるほどの激烈な痛み。
それを治療するために、大学病院から鍼灸...</description>
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<![CDATA[
この著者のミステリーは1冊も読んだことはないが、この本は実に面白かった。
私のような２，３日休めば回復する程度の痛みではなく、自殺さえ考えるほどの激烈な痛み。
それを治療するために、大学病院から鍼灸、カイロ、マッサージ、果ては霊媒師までありとあらゆる治療を試みるが直らない。
はたしてその結末やいかに。
実に意外な方法で完治するのだ。

実在の病院名や治療者の名前が書いてあり、治療しても直らなかったというのだから訴えられないだろうかと思う。 有名な小説家、夏樹静子さんが、腰痛の苦しみとそれが治癒するまでの遍歴を、ご本人の日記形式でリアルタイムで描写されています。
 最終的には、痛みの原因は以外にも「心理的要因」である事がわかり、ある心理療法家の治療により治っていくのですが、そのスリリングな筆致は苦しまれた当人だからこその迫力がありました。
 「治癒した今でも心理的要因だったとは納得できないほどの痛みだった」という症状には、読者もまさに「こわい」と思わされるようなものでした。

 抑圧された感情が、身体にブロックをつくる、という概念は、現在アメリカの心身医学界で大きな潮流として認められており、そのような視点で書かれた医療書も、多く見られるようになりました。サーノの「ヒーリング・バックペイン」をはじめ、ピーター・リヴァインの「心と身体をつなぐトラウマセラピー」や、マインドフルネスを提唱した各種の本には、「気づき」による心身両側面の治癒の例が掲載されており、大変興味深いのですが、本書は、稀有な文章力と客観性を持つ作家という職業者が、「患者からの詳細なレポート」をものにされたという点で、大変貴重だと思います。

 とにかく、読み物として大変おもしろいので、おすすめしたいです。
腰痛に悩む方はもちろん、心身相関（一体）的なセラピーに興味をお持ちの方も、ぜひ一読されると理解がますかと思います。さすがに文章がうまいので、引き込まれて最後まで読んでしまった。
夏樹静子の腰痛は、色んな検査をしても、器質的な疾患が明確に
ならなかった。
そこで、考えられるのは、心の病である。
しかし、夏樹静子はそれが納得できなかったので色々と治療を試みる。

この本を読んで、器質的な疾患がなくて、身体に疼痛がある時は、
心の病を疑う必要があるということが、少し理解できた。売れっ子作家が、作家としてのスタイルを変えようと模索する時に、腰痛に苦しみ、広い交友関係を利用し、
ありとあらゆる治療を受け、最終的に心療内科で快方に向かうまでを伝えている。現役の作家自身が
思いもよらぬストレスを抱え、腰痛の治療にかけずりまわり、その地獄から生還するまでを、治る見込みのない
時から書かせた文藝春秋の商魂！も凄まじい。

西洋医学、東洋医学、霊まで出てくる。実名で著者の治療には無力だった名医たちが次々に出てくる。
作家の森村誠一さんも同時進行でおなじ治療を受け、著者とは異なり快方に向かうことも書かれている。
河合隼雄先生へも編集者を介して相談している。著者は、ネアカで、頭の回転が早く、思い込みも
激しい性質と描かれている。早口で治療者と向かい合って行くさまは、サスペンスさながらだ。

最後の最後に「心でこんなに痛くなるはずはない」と否定していた主人公が「心だから無限の痛みを
作ることができる」と、さらにネアカなはずの主人公が抱えていたストレスの存在に『気づく』。
そして、快方に向かって行く。詳細に書かれた本書で追体験することにより、多くの腰痛難民が
救われるのではないかと感じる。私は民間病院に勤務する、無名の勤務医です。
多方面の検査では異常は見あたらないのに、腰痛や背部痛を訴える方に、頻回に遭遇します。
その痛みは激烈であり、時には痛みの部位が移動したりするのが特徴です。
老若男女を問わず、患者さんの数は非常に多いです。
非常に多い、という事を、特に強調したいです。

私は、本書を読んで、少々もどかしく感じました。
著者は、ご自分に合った治療法に巡り会うまで、随分遠回りをされました。
各界で名医と称される多くの医師や治療者の診療をはじめ、話が「霊」にまで到達しているのには、少々驚きました。

私なら、こういう場合は、心理的側面を重視し、懇意の臨床心理士の先生に、まず相談します。
経験から言って、時間は少しかかりますが、その方向の適した治療法の紹介で、たいていは劇的に症状が改善します。
問題は、この、心理的側面の可能性の問題を、患者さんに説明しても、なかなか信じてくれない事です。

そういう意味で、本書が世間に与えた啓蒙は大きいです。
本書では触れられていませんが、最近は、激烈な腰痛を訴えるニートの若者も激増しているとも感じます。

本書の登場以来「信じてくれる」患者さんが増えました。
信じてくれない方には、本書の一読をお勧めているのですが、目から鱗だという反応が得られる事も多いです。

こういうケースでは、私の様な、無名の勤務医の言葉は重くはないです。
「劇場のイドラ」かも知れませんが、著者のネームバリューの持つ力は大きいです。

本書は殊の外壮絶です。

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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/11/4101010048.html">
<title>三四郎 (新潮文庫)</title>
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<description> 読了とともに、もう一度読みたくなり、二度続けて読んでしまった。そして、いろいろな世代の人と本作品について語り合いたくなった。世代によって、性別によって、三四郎や美禰子の心情、広田先生、与次郎、よし...</description>
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 読了とともに、もう一度読みたくなり、二度続けて読んでしまった。そして、いろいろな世代の人と本作品について語り合いたくなった。世代によって、性別によって、三四郎や美禰子の心情、広田先生、与次郎、よし子、野々宮、原口など脇を固める登場人物から受ける印象、学生生活や恋愛や女性についてなど、感じ方は様々だと思う。この作品と出会う年齢によっても異なるだろう。
「『坊ちゃん』と並ぶ漱石の青春小説」というキャッチフレーズが少々邪魔をして、今更読むのも気恥ずかしくて読まずにいたが、何の何の、むしろ青春を懐かしむ世代になってからこそ読むとおもしろい。若い頃は、きっと三四郎に同化して読むのだろうと思う。年を重ねると、先生の立場から若い三四郎や与次郎の行動を見ることができたり、美禰子のとる作為的な恋愛の行動すら何だかかわいく見えたりするから不思議だ。
 学生時代に読んだ記憶のある人は、もう一度読むと、新発見がたくさんあるはず。
だから読書っておもしろい。
 あの時代に、こんなにも素晴らしい作品を書いていたんですね。
人間はやっぱりあまり変わらないものかもしれません。
広田先生のような人もいますしね。
何となく、村上春樹さんのようなにおいがするのは気のせいでしょうか。細かい評論は僕はできませんし
他の方が沢山述べていらっしゃいますので端折りますが
僕は 冒頭の東京へ向かう列車の中の情景や
途中の名古屋で面識の無い女性と同室することになり、
色々な意味で困りに困った三四郎が
タオルで布団の間に境界線を作ったのはいいんだけど
翌日その女性に「よっぽど度胸が無いんですね」と言われ
凹むというエピソードが大好きです（笑

登場人物もどれも個性的で愛らしくもあり
そのままマンガにでもできそうな秀逸な展開となっています
「猫」に並び肩の力を抜いて読める夏目漱石の娯楽作ですこれは田舎から出てきた三四郎が、東大で薫陶を受け、そこに出入りしていた女・美禰子に淡い恋心を抱きながら、振り回される話です。

美禰子は奔放な生き方で男をかき回す、クラッシャーですね。こういった話は、いまでもそこら中に転がっているでしょう。田舎から上京した男が都会でどう感じるか・・・これをこれほど見事に描写するとは、漱石恐るべしです。

いろいろと伏線めいたプロットがあるのも面白い。あまりにも有名本書ですが、これからも必読の青春小説であり続けるでしょうね。漱石の作品としては、重苦しくなく、わりあい素直に楽しめる作品。

内容は、実学でなく「思想」に生き、世の出世とかに淡白そうな広田先生に触れたり、解放的な女性に翻弄されたりする、都会（東京）に出てきたばかりの田舎者・三四郎の日々をつづった（だけの）ものであるが、このどきどき・うだうだ感がまさに青春だぁ！というわけで、個人的には、大学生（とくに地方出身の）にすすめたい青春小説Ｎｏ.１である。青春が遠のいたひとが再読しても、充分楽しめる。というか若いころに読んだときより、もっと楽しめるかも。三四郎といっしょにふらふらすれば、ちょっとした東京散歩もできるという趣向。






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<title>こころ (集英社文庫)</title>
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<description>中学か高校の時、国語の教科書に「先生と書」の一部が載っていて、夢中で読んでいました。
一度全部読みたいと思いながら、かなりの年月が経ち、最近思い立って読んでみました。
最初は知らない固有名詞、言葉づ...</description>
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<![CDATA[
中学か高校の時、国語の教科書に「先生と書」の一部が載っていて、夢中で読んでいました。
一度全部読みたいと思いながら、かなりの年月が経ち、最近思い立って読んでみました。
最初は知らない固有名詞、言葉づかいに戸惑いましたが、読み進めるうちに全く気にならなくなりました。
結末は何度も読んでいたので、記憶に鮮明にありましたが、それでもどんどん物語に入っていきます。
というか結末を知っているからこそ「上」「中」を読んでいても先生の言葉一つ一つに重みを感じるのかもしれません。

物語はもちろんすばらしいのですが、心理描写に感動しました。
特に「下 先生と遺書」は、先生の恋心や親友に対する繊細な想いが手に取るように分かります。
感情をここまで言葉で表現できるのだと驚きました。

菊田均さんの解説は、時代背景、物語をさらに理解するのに役立つと思います。
読み終わった後の余韻を、きちんと整理してくれる感じです。心に負った大きな傷が、 
今もわたしを苦しめます。 
弱いわたしは、一生この傷を 
癒すことはないでしょう。 
他人に助けを求めるには、 
私の中の自分というものが大きすぎたのです。先生は、連れ添う人とどうして自分の人生の深刻かつ大事なことを共有できないの？
お嬢さんに無垢でいて欲しいからですか？
Ｋを結果的に死なせてまで一緒になった人は、ただの無垢な女の人でしかなかったの？

どれだけ長く一緒に居ても、心を開けないの？妻の無垢さは何にも替え難いの？
その癖、出会って日の浅い青年にはすべてを打ち明けてしまうの？
青年が真面目である、というだけで？

先生の偏向した倫理観と意固地さは超弩級です。
純愛よりも、小賢しい知識を用いてあれこれ煩悶するのがお好きなようです。
お嬢さんに対して死ぬまで心を閉ざし続けることこそ最悪のエゴイズムなのに、先生はそれに気づきません。
エリートって相当病んだ人種なんですね。

平成の人間の目には、先生のトンチンカンな倫理感が奇異に映ることでしょう。
明治時代の人の考え方を知るための資料として読みましょう。人間嫌いな先生は自分も嫌いだった。
それは自分が嫌う人間と同じように、分も人を裏切ってしまうからだ。
言い方を変えるなら、『エゴイスト』である人間に不信感を抱いていた先生は『自分もエゴイスト』だったことに気付いて絶望する。

人間の本質を表しているようだ。
本文ではこのように書かれている。人は元々悪人であることはむしろ無いないのだが、急に悪人になるのだ、と。


しかしそんな自分に絶望する先生は人間らしかった。つまり理想的な人間を社会にも、自分にも求めるからこそ、そうでない現実に絶望するのだ。先生こそ実は純粋に理想を求め、純粋に私心(私欲)によってその理想を裏切ったのだ。前者はあくまで私心に劣るということだろう。つまり、やはりそれは究極的な意味で仕方ないのだろう。むしろ私心を殺してしまうことは、自分を殺すことになり、それはそれで先生も絶望したに違いない。
先生の失敗は人間とはそういうものだ(結局道徳など本能的な私欲の前には劣るのだ)ということを理解しなかった点だと思う。
強い理想は現実の前に砕かれ、精神を病む。
人間とはさも素晴らしいもののように考えることを誤りだということに気付かせる作品だった。『こころ』を読んだのは、中学生のとき以来だろうか。
そのときは、国語の授業の一環として語彙を暗記したり、
「ここで先生はなにを言いたかったのでしょうか」
といった類の意味（心理？）解釈を
定期テストの対策として勉強した覚えがある。
有名な作家で有名な作品。その他にはとりわけ印象には残らなかった。

日本の近代文学が何となく肌に合わなくて、食わず嫌いをしていたが、
今さらながら読んでみて、なぜ素通りしていたのだろうと思った。
同時に、中学生のときにわかるはずがないと思った。
いや、国語の学習教材としても使われて、
現時点で（恐らくこれからも）読んでもまた理解の仕方や感じ方が違う。
この作品が時代ごとに読みつがれている理由の一つだろうか。
今だと、漱石の上品な文体に感じ入るだけでなく、
ある程度理性的にも理解できる。

漱石は近代的な人間の内面を鋭く描写したという定式的な解釈がある。
それ自体は間違ったものではないとは思う。
だが、実際に読むと、漱石や先生はそういったところに入ったまま、
そういったところを突き抜けた地点で表現（解釈）するという
ある種の矛盾を両立させているように見える。すごく中立的に。
そのためだろうか。本書は重いテーマではあってもとても読みやすい。
深淵だけど寛容。奥深いが間口は広い。

『こころ』は岩波、新潮、角川、集英社と多くの出版社から出されている。
本屋では同時に手に取ってみて、紙質、字体、装丁、解説など
比べてみるのも楽しみの一つになる…かもしれない。

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<item rdf:about="http://91-book.bestbook-search.com/detail/13/4101010056.html">
<title>それから (新潮文庫)</title>
<link>http://91-book.bestbook-search.com/detail/13/4101010056.html</link>
<dc:date>2010-05-29T19:35:15+09:00</dc:date>
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<description>偶然にも，敬愛する先生も，
最近はベッドに入り，夏目漱石を読みながら，
眠りにつかれるそうだ。
先生は，森鴎外を読まれているのだろうと
思っていたので，最近これを知り驚き，
嬉しくなった。

それに...</description>
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<![CDATA[
偶然にも，敬愛する先生も，
最近はベッドに入り，夏目漱石を読みながら，
眠りにつかれるそうだ。
先生は，森鴎外を読まれているのだろうと
思っていたので，最近これを知り驚き，
嬉しくなった。

それにしても代助の思索，思考，行動には何故か
引き込まれるものがある。小説『それから』の主人公・長井代助の生き方と環境に、多くの人が憧れたのではないでしょうか。
代助の父親が経済的に豊かなため、彼は積極的に働くこともなく、読書生活を日課とする青年知識人、それが高等遊民の誕生である。

イギリスに留学した漱石のことを、「20世紀を持ち帰った漱石」という言葉がある。
1914年（大正三年）の学習院での講演「私の個人主義」で、それを感じることができます。

漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』は、20代、30代、40代になって、私たちの心を揺り動かし共感します。
その中で、『それから』の世界に夢中だった30代は、高等遊民の世界の大切さを感じさせてくれました。

明治期の評論家･内田魯庵（1868〜1929）の「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」の言葉が印象的でした。

夏目漱石（1867〜1916）の小説『それから』の魅力は、心の内面の深い感情と思考、そして葛藤の心理描写の匠さである。「１００年前のニート＜代助＞大いに語る」といった風の小説でしょうか。

ある面から見れば、代助はいい血筋で学もあるのに「働いたら負け」といったごとくノラクラと暮らしているわけです。それがあろうことか、ちゃんと就職して働いている友人の妻と不倫する。こんな道理は通りません。

１００年近く経ってこれほど現実に迫った鮮度を保っているとは・・・もちろんコレは漱石が今の日本と状況の似ていた当時のイギリスに留学していたことと無関係ではないのですが・・・驚嘆に値しますね。面白いです。
明治42年朝日新聞連載の長編である。有閑階級のインテリ代助と友人平岡の妻三千代との恋愛関係の帰趨を、平成年金暮らしのシニアは切実なリアリティとして受け止めることができた。
倫理面で極めてストイックな物語の展開が先ず印象に残った。

この作品は、利害（打算）抜きの想念と憧憬だけの結婚観に支配されている主人公・代助の若さ（未経験）と観念で貫かれており、父が薦める地方の資産家佐川の娘との結婚を断り、実業家の父と兄それに嫂と勘当されてしまい、経済生活に支障をきたす事が暗示される形で終結する。構成と人物描写や対話の進行（スタイル）はブロンテ姉妹らの英文学作品との類似性を感じた。

現実生活を超越した主人公の破局的な生き様を、当時の読者はいかなる感慨を持って受け止めたのであろうか。それは 恋愛至上主義とは程遠い、多感な無職の有閑インテリのほろ苦い青春の挫折とでもいえようが、打算的な現代の若者には理解しがたいのではなかろうか。

西洋の貴族社会において 夫婦以外の愛人の存在がかなりおおっぴらに認められていることが知られているが、漱石の時代には西欧で王や王妃の愛人関係の存在が一般的であることまでは余り知り得ていなかったのではなかろうか。

総じて、近代社会発展期の明治期にあって、インテリ層を中心に台頭してきた個人主義の精神と人間感情の起伏についての表現が秀逸であり、ムンクやアンソールの絵画を思わせるような終結部における代助の絵画的体験描写は、漱石が小説家というよりも心理学者の分析を披瀝しているように感じた。

このテーマは現代の日本にそのまま当てはまる要素を多々有しており、今なお当時新聞連載中 漱石の意気込みと人気の程がうかがわれる作品といえよう。

３０歳にもなって職を持たず、実業家である父から生活費を貰って暮らしている代助は友人夫婦である平岡夫妻が帰郷したことで様々な事柄と向き合うことになります。自身を責任ある立場に置かないことで成り立っていた生活と心の基盤を揺るがすのは...というのが始まりです。またまた当然文章が上手いです、説明し尽くされることに慣れてしまっている現代の小説家の文章よりもずっとセンスある、隙間を生かし、全てを説明しないでも伝えるテクニックがとても心地よいです。そして、展開も、描写も来ます、迫ってきます。哲学的問いかけ、生活者としてのその時の風情もあり、それでいて愛情についても語られる、昔からあったであろう西洋小説の王道です。しかし、その西洋の王道が日本的なものになって漱石先生の手にかかると、メランコリーで回ります。そこがとても日本的だと、ある意味美しいとさえ感じました。 

内容に言及しています！ 

代助の無意識の内に平岡に自分の好きだった三千代を斡旋する努力を行ったことはおそらく『妻を娶る』という責任を回避するためのものであったであろうと私は解釈しました。だからこそ、その後その自分でした事の事実お大きさに悩み苦しみ、そして運命という言葉を出して自身を納得させる部分はたしかに誉められた行為ではありませんが、ドラマとして必要な部分でさえあると私は思いますし、自分で蒔いた種を刈ることの悲劇性が強くなって小説としてよかったと思います。その辺や相対する平岡を徐々にどんな人物に変わっていってしまったかを描くことで感情移入させやすくしていますし、より小説世界に入り込んで楽しめました。なんだかんだと理由をつけ、その理由が正しいか誤っているかではなく、今どうなのだ？という現実に即する事が出来ないあたりが私個人的には村上 春樹さん的にも感じられ面白かったです。やはり周りをとりまく人々の（父の、兄の、嫂の、そして平岡や寺尾、もちろん三千代まで当然！）凡庸なるまともさと神経質なまでの考えに固着する代助の頭の回り方が対比美しく良かったです。三千代が代助の告白を聞き入れる度胸の大きさと覚悟の見事さに比べてのある意味滑稽でもあり、そして何故だか哀しくもある代助の態度がまた印象的でした。 

その上ところどころで挟まれる描写の美しいことがまた盛り上げたり、引いて見せてくれたり、まさに自在に私の感情をぐりぐりと動かされた感じでした。特に描写では、嫂に自分の好きな女が出来た事を告白した帰りに見る梅雨時に珍しい夕陽と車の輪との描写はとてもヒロガリを感じますし、まさに衝撃的な場面の後でよりいっそう余韻に浸りました。また代助が三千代を好きだと自覚する場面での「三千代」を繰り返す文章が非常に代助の心を描写する意味では上手いと思いました。 

不倫小説、とは言いすぎな部分もあるかと思いますが、現代でも同じ題材として繰り返されるモチーフのひとつでありながら、その他とはあきらかにレベルが違って感じる小説、再読だろうと充分に耐えられる芯の太い小説だと思います。 

私は最後に代助の至った狂気への道筋にも見える部分こそ、本当の、現実への扉を開け、責任を負うことへの代助から見たものをそのままに描写したものだと思います。狂気を感じさせつつリアルであるという踏みとどまりを感じました。 

漱石先生の作品が好きな方に、何時の時代もある不変的悩みに興味ある方に、村上 春樹さんの初期の頃作品が好きな方にオススメ致します。
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<title>アースダイバー</title>
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<description>たまたま小川糸さんの｢喋々喃々」を読んだ後にこの本を読みました。
小川さんの本は谷中が舞台なのですが、ところどころリンクするところがあって｢えー｣っ思いながら楽しく読めました。

それに、東京タワー...</description>
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<![CDATA[
たまたま小川糸さんの｢喋々喃々」を読んだ後にこの本を読みました。
小川さんの本は谷中が舞台なのですが、ところどころリンクするところがあって｢えー｣っ思いながら楽しく読めました。

それに、東京タワーや皇居・銀座や上野などこれを読むと東京は西にある高級住宅街は東京の歴史を語っていないのだなって思わずにはいられませんでした。



中沢新一という人がどんな人で何を研究している人か、個人的にはさして興味を持ってこなかったのだけど、こういう本を書いて、それがそれなりに受け入れられているというのは、著者にとってはおそらく悪いことではない。

（20年くらい前にこれを書いてたら、もっとボコボコにされるか、あるいは一顧だにされないかのどちらかであったと思う。）

批判する人がいてもいいし、そうた批判を受けるだけの理由がこの東京論には実際あちこちにある。どうも気に入らない、こんなもんに付き合ってられないという人は、こんな本、捨ててしまえばいいのである。

けれども、捨てる神あれば拾う神あり。

洪積層だの沖積層だの、あるいは資本主義だの神話だのとアカデミックっぽく理性的めかして書いてはいるけれど、おそらくそれらの外貌そのものは、著者にとってはぜんぜん重要ではないのだろう。実証だの論証だのをもってしては決して届かない世界の闇。そこへ向けて自らの五感を作動させようとすること自体に、おそらくこの思索の意味はある。

実際にその土地を歩き回ることによって、アタマではなく、カラダで妄想する。それを無意味だと思うのなら、この本に意味はない。けれども、そこから何かざわざわするものを感じ、何かを考えようと思えたのなら、それでこの本を読んだ甲斐はあったと言えるのではないか。

評者としては、参考文献なんか離れて、もっともっと自由奔放に妄想してもよかったでのはないか、と思う。もっとも、そんなことをしたらもっともっとワケノワカラナイものに仕上がってしまった可能性は大なのだが。東京の地誌+民俗学+経済学などなど・・・
いろんな観点から東京を観ていて、おもしろい。
ドキドキしながら読みました。

途中、筆者の主観に走りすぎてる感があったり、
“週刊現代”に連載されていた記事をまとめられた本なので、
読者の好みそうな内容に傾いてる感もあり・・・。
鵜呑みにしなければ、楽しめる。

東京のフィールドワークがしたくなる本でした。
民俗学が好きな人も楽しめるかも。 東京の古層に眠る縄文の記憶。久しぶりに読み終えるのが
惜しい本と出会いました。

 東京を支えるエネルギーを今でもこのように引き出せるの
が驚きです。本書を読んで感じるところがある人とない人
の両極端が存在すると思いますが、私によっては素晴らしい
本でした。思想家と言う肩書きを持つ著者が
縄文時代の古地図と現在の地図を重ねた
独自の地図を元に東京を歩きその感想を書いたこの本。
色々な発見と共に、思想家という人は
なんと創造力の豊かな人たちなのだろうと驚いた。

大地と平地が入組んだ街、東京。
この本は
東京は徳川家康が入植する前はただの荒果てた土地だったと、
昔の日本史で習った事を
思い出させてくれた。

今は、アスファルトに囲まれた都市だけれども、
小さいながら昔ながらの風景を残していて
それは案外近くにあるって事に気がついた。

江戸、東京。
この二つの文化は繋がっていないように見えて
実際は繋がっていて、
それも深い関係がある。
現在の東京都庁のあるあたりの十二社物語は
本当にダイナミックで今度、訪れようと思うほど、
東京の歴史の深さを再認識できた。

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<title>文鳥・夢十夜 (新潮文庫)</title>
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漱石の主な長編は大体読破したのだが、短編にはこれまでほとんど手を出してこないでいた。長編とはかなり異なる顔の漱石を見ることができた。全体を読んで一番印象に残ったのは、やはり「夢十夜」。夢をテーマにし、物語も夢幻的なものが多く、まさか漱石がこのような作品を書いていたとは思わなかった。ただ、本書の中で最も読み応えがあったのは、小説ではなく随筆と言える「思い出す事など」であった。これは晩年の漱石が病床で経験したことをほぼリアルタイムで書いたものである。生と死、人間と社会をまさに透徹した目で見つめた作品であり、味わい深い。当時の漱石は小説にほとんど関心を失っており、外国の学術書ばかりを読みふけっていたのも印象的。この時代の文豪は現代の作家と比べるべくもなくアカデミズムに精通していた。

ただ、本書に収められている他の作品は対して面白くなかった。高く評価されている「文鳥」も、私の感性にはあまり多くを訴えてこなかった。閉口したのは長々と続く「永日小品」。とりとめのない（と私には見える）文章が続くのみであり、意地悪な言い方をすれば、夏目漱石というネームバリューが無かったら誰も読まない作品だったと思う。表題作の文鳥を読んだとき、独特で新鮮感じがしました。
読み終えた後、何とも言いようのない悲しさみたいなものが残りつつ、
次の作品に移りました。
ただ、私にはちょっと合わなくて、作品の半分まで読んだのですが、挫折してしまいました。
１作品、１、２ページで終わるものが多くて、しかもとりとめのない話のように感じてしまい、
読欲がうまれてこなかったです。

あと半分は、また気が向いたら読もうと思っています。
「小品」と云われるジャンルが合わないのか、他の長編を読んで決めるまでの
気持ちにはまだちょっと時間がかかりそう。

こころ、とか読んでみたいなと思っていたのですが、
いずれ、リベンジしてみたいと思います。

(2009.4読)
かつて生き物を飼い殺しにした経験のある私は、
「文鳥」を読んでみて、昔の古傷を抉られたような心持ちになりました。

飼っている内にだんだん世話をするのに飽きてくる下りには共感しました。
でも漱石先生は世話に飽きてしまってからも、やけに事細かに鳥籠を観察していますよね？
そんなに事細かに観察するくらいならちゃんと世話すればいいのに、と思ってしまったり。
飽きたら観察するのも嫌になりませんかね？

描写力云々はケチの付けようもありません。
しかし前科者の私が言うのもなんですが、
文鳥を昔自分が好きだった女になぞらえた挙句に飼い殺し、責任を家の人に転嫁する、
という筋書きは趣味がいいとは思えませんでした。
偉い文学者であれば、生き物を飼い殺しても全然構わないのでしょうかね？「思い出す事など」（33編）と「変な音」（2編）では、明治43年8月修繕寺滞在中に胃潰瘍で吐血し、人事不省に陥った折の体験が描かれている（明治43年8月〜明治44年は朝日新聞への連載小説執筆はなく、その折のエッセイ）。

栄養摂取、消化薬、ペインクリニックなどが発達した昨今からみれば、想像できない程の医療技術の格差があり、骨や関節の痛みに耐えられない病臥中の漱石の苦痛の表現は生々しくも痛ましい。
新聞報道を見て友人知人からたくさんの見舞電報が届けられたのに励まされ生き延びれたという述懐もあり、長与胃腸病院の医者や看護婦の懸命の治療と看病への感謝、鏡子夫人との対話、朝日番記者の動きや裏話が 死線を彷徨った文豪の筆で語られている。

小説家というより思想家や心理学者のように透徹した観察と思考を通じて、大胆な表現で説やエッセイを次々と発表していった漱石の源泉を知るのに欠かせない 興味深いエピソードがびっしり詰められている。

本書（新潮文庫）には、他にも「永日小品」「手紙」などが収録されている。
あらすじ；
主人公が文鳥を飼い、世話をしつつも、徐々に億劫になり、死なせてしまう。

感想；
結晶のような小説という印象を持った。
十分な世話をしてやれていない文鳥に対して何度も「すまない」と思うも、また同じことを繰り返す。「私」の文鳥に対する心情は、かつての恋人の心の内を察してやれなかった自身の鈍さへの後悔から来るのであろう。しかし、結局文鳥は自らの不注意から死んでしまう。
昔の恋人と文鳥、昔の「私」と今の「私」が二重写しになり反射する。
文鳥の瑞瑞しい描写、非常に簡潔で精緻な文体もそのような印象を強めた理由の一つである。
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<title>こころ 青い文学シリーズ アニメコミックス 2 (HOME COMICS 青い文学シリーズアニメコミックス 2)</title>
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<title>岬 (文春文庫 な 4-1)</title>
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<description>気が弱ってるときにこの作品を読むと死にたくなります。
体調万全で用心深く読むことをお勧めします。
読後に、脂汗が出るような疲労を感じなかったら、
すでに心が死んでる証拠です。 代表する作家、中上健次...</description>
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<![CDATA[
気が弱ってるときにこの作品を読むと死にたくなります。
体調万全で用心深く読むことをお勧めします。
読後に、脂汗が出るような疲労を感じなかったら、
すでに心が死んでる証拠です。 代表する作家、中上健次の芥川賞受賞作「岬」を含めた、四篇の短、中篇を収める。
 主人公の痛みや葛藤がまざまざと浮かび上がってくるその表現力はさすが。だが、表題作にしろなんにしろ、一人称で書かれてあればよかったという気がしなくもない。あと、うも改行のタイミングが受けつけない。三人称なのに、まるで一人称かのように主人公の苛立ちが読み手に伝わってくる（またそうのように表現している場面も山ほどある。）率直に言うと、文体は一人称を使うべきだったのでは、と思うけれども、苛立つパワーには引き込まれた。愛情への強い渇望を抱く兄姉。逃れられない血・土地への恨み。ヒシヒシ伝わってくる。作者自身の苛立ちが、文章を通じて強いパワーを読者に感じさせる。今生きていたらどんな文章を書いていただろう。岬、英語でpeninsulaそうペニス＝男根である。男根は膨張し行き場のない力を放出しようとする。その上でうごめく人物群。上京して覚醒した中上＝秋幸はこの作品で新宮に帰還した。そして新宮＝物語に復讐を開始する。「心臓が愛しい、愛しいとなっていた。 ペニスが心臓ならよいと思った。」という文に魅かれた。この作品には「蝸牛」（’７４年３月発表）に1度描かれたことのある殺人事件が前半に置かれ、それが引き金となって生じた２番目の異父姉の精神異常が、この姉たちの父親の法事を背景に描かれています。その間、「枯木灘」以降、いや中上の全作品にと言っても過言ではないのですが、重要な意味を持ってくる自殺した異父兄の皆との関係が実に自然に書き込まれています。そして最後にそれらの関係の総体がもたらす結節点として、主人公の近親相姦が圧倒的な迫力をもって描写されているのです。複雑な親族関係が、簡潔に正確に捉えられています。この作品内にあっては、いかなる曖昧な関係の叙述もない。すべては解明されつくしています。
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<title>汚れつちまつた悲しみに…―中原中也詩集 (集英社文庫)</title>
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<description>過去に何度か読んではいますが改めて。。。 

やはり 
「汚れつちまつた悲しみに……」は秀逸です。 

表紙イラストは 
「テガミバチ」の浅田弘幸集英社文庫の表紙リニューアルシリーズ。
絶妙な表紙で...</description>
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<![CDATA[
過去に何度か読んではいますが改めて。。。 

やはり 
「汚れつちまつた悲しみに……」は秀逸です。 

表紙イラストは 
「テガミバチ」の浅田弘幸集英社文庫の表紙リニューアルシリーズ。
絶妙な表紙です。読む気にさせますね。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん

オモシロい。なんだそれ。
彼の感性が面白いです。 ３０歳で夭折した詩人「中原中也」としてではなく、一詩人である「中原中也」の作品集
として読んでほしいと思います。
 ついつい作者のプロフィールを気にして作品を読みがちですが、その辺のことはあえて
無視して、純粋に作品だけを読むと、その詩のよさがわかると思います。 
 私は「冬の長門峡」が好きです。
繊細、儚さ、大人になるにつれて忘れていく感情。
若くして生涯を終えた、中原中也の言葉は、今の時代でも色褪せません。

1つ1つの詩をゆっくり味わって読めば読むほど
深く綺麗な世界が広がっていると思います。 美少年で若くして散った詩人。
 詩も美しく・・・。
 しかし、私は、中原中也の詩の中に、泥臭い青春が見える。
 現実に唾する若者の姿が見える。
 天才詩人の詩を私ごときが、理解することはできないけれど。
 中原中也の泥臭さは、私を刺激する。
 「詩」なんて、18歳までに読むものだと思っていた私の考えを、ひっくり返した。
 今読んでこそ、わかる箇所がいくつもあった。
 彼は、ちゃんと生身の女の詩も書き、人の人生をひっくりえすようなとんでもない詩も書いている。
 その後、なにくそと、生きたくなる。
 無性に何かがしたくなる。
 高校生の頃、夢見ていた中原中也は私の中にはもういない。
 いるのはちゃんと成人した、とんでもない不良詩人だ。 
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<title>阿弥陀堂だより (文春文庫)</title>
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<description>いい作品です。人の世の美しいものがいっぱい詰まっています。
映画もいい作品でした。小説とはかなり違うけれど、どちらもいいです。
やさしい作品です。私と「阿弥陀堂だより」との出会いについて。

たまた...</description>
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<![CDATA[
いい作品です。人の世の美しいものがいっぱい詰まっています。
映画もいい作品でした。小説とはかなり違うけれど、どちらもいいです。
やさしい作品です。私と「阿弥陀堂だより」との出会いについて。

たまたま、本屋で文庫本コーナーをパトロールしていたとき（特に目当ての本がなくても週に一度は必ず本屋を巡回している）、
文春文庫の前で何か視線のようなものを感じ、そちらを向いてこの本と「目」が合った。
まさに目が合ったという感じだった。(偶然にも映画公開直前！)

手に取っておもしろそうだったので購入し、一気に読んだ。夢中になって読んだ。
良かった。何度も涙を流した。
人の生死について、厳しく、しかし優しい目で真っ直ぐに見つめる作品であった。

以後、南木佳士の作品（小説・エッセイ）にのめりこみ、購入できる著作を全て入手していった。
それと同時に、いまさらながら純文学に目を向けることとなった。
本書を読み終えた後、本書が映画化されていることを知りました。本書の独特な時間や空間軸は文章によってのみ伝えられるもので映像化することは非常に難しいのではないかと勝手ながら想像してしまいました。
私は本書を読んで主人公の孝夫と美智子は著者である南木さん自身であると感じました。医師としての緊張感と作家としてのプレッシャーを一身に浴びている南木さんを分解したら孝夫と美智子に分かれたのではないでしょうか？極度の緊張と弛緩を繰り返す医師という職業を持つ著者だからこそ描くことの出来る時間軸と空間軸を是非とも多くの人に堪能していただきたいです。 この小説には、重要な登場人物として３人の女性が出てきます。３人ともとても魅力的な女性達です。特に、阿弥陀堂を守っている「おうめ婆さん」が一番魅力的です。「おうめ婆さん」の語る言葉やしぐさにとても心安らぐのです。年をとって、この様になれたらいいなと思います。
 久しぶりに穏やかな気持ちで読める、いい小説に出会えたと思います。今、病気をしていたり、心に何かの不安がある人なら、何かきっと感ずるものがあるとおもいます。この本の中に、下記のセリフがあります。 

「病気っていえばねえ、私は自分が病んでみるまで、医者の癖に病気と単なる体の故障の区別がつかなかったのよね、ガンで死期が迫っていても病気で無い人もいれば、一寸長引いた風邪でおもい病気になってしまう人もいるのよね。問題は心を病んでいるかどうかなのよ。重篤な疾患にかかっていても、心を病んでいない人は病人ではないのよ」 

病は気からという昔からの教えがよく理解できました。人生は春夏秋冬のサイクルを通っていく、その中に人としての自然な生き方が在る。誤解を恐れずに書くと、生者・死者は表裏一体ということがわかれば、「病気」にはならないともいえるのだということが一貫して流れているような気がしました。今の日本で忘れ去られてしまったものがこの本の中にはあるような気がします。生きるということをとても美しい文体のなかで味わわせていただきました。

なお、映画化され、ＤＶＤはレンタルもされています。本もいいですが風景の想像力は映画のほうがよいかもしれません。 

でも心理描写などを見ると本と映画はやはり別物です。もちろん映画もすばらしいですよ。どちらも味わってみてください。
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<title>吾輩は猫である (岩波文庫)</title>
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こんなにおもしろいと思いませんでした。
主人の先生たちの会話を聞いて楽しむ猫。
今の時代にも当てはまる絶妙な風刺。

難しい言葉も登場するし...</description>
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誰でも知っている小説を一度読んでみたくて、購入しました。
こんなにおもしろいと思いませんでした。
主人の先生たちの会話を聞いて楽しむ猫。
今の時代にも当てはまる絶妙な風刺。

難しい言葉も登場するし、言葉づかいや知らない地名のため、
読むのに多少時間がかかりましたが、
そんなことも気にならない面白さです！
名作と呼ばれるものはいつの時代も名作なんですね。

今まで文学作品はあまり読んできませんでしたが、読んでよかったです。我輩は犬である。
名前はポチだ。

この本に登場する猫は、我輩の友達なのだがまだ名前が無いらしい。
名前さえ付けてもらえないショボい猫なのだが、こいつがなかなかの男なのである。

こいつは、妻と3人の娘を持つちょっと鬱病気味の英語教師に飼われてやがるのだが、猫の分際で人間以上に人間の本心を読み取るのである。
おまけにこで読んだか知らないが、小難しい文学なぞにも通じていて哲学的思想に浸り、俗世間で右往左往する人間どもを彼方の天空から見下ろす神のごとく、冷静に主人やその他の人間を見つめ続けるのである。

こいつ以外にも猫は登場する。
こいつを「先生」と呼ぶ三毛子という雌猫や、下品で無教養で粗暴極まりない「車屋の黒」というでかい黒猫である。こいつもさすがに黒のことは恐くてしょうがないらしい。

猫の視点から、人間の生き様を風刺的に描いた大変ユニークで質の高い傑作と言えよう。

ちなみに我輩は登場しない。
ポチなんて犬は、多分登場しなかったと思う・・・。

まあ、気になったら最後まで読んでみてくれたまえ。
では失敬。 司馬さんが坂の上の雲を書く上で、主人公を”明るさという点で子規を選んだ”と。
 選ばれなかったのがこの漱石だったんですね。

 まさか今から１００年以上前の小説がこんなにも可笑しく、共感できるとは。

 明治期の文人知識人たちの鬱屈が目にみえるようでありながら、諧謔味のあるユーモアの数々数々。

 逆に言ってしまえば私たちは、その形而上的な、精神的な段階、１００年前から大して進歩していないのでは。と、思わせるほどのこの現代との一体感はなんぞ。

 活字で笑わせていただいたのはさくらももこ、リリーフランキー以来。

 旧千円札の肖像金之助氏の栄誉を今一度讃えたい。あなたは素晴らしい。素晴らしいが、ちと博覧強記に過ぎたということか。理解者がおらず、寂しくもあっただろうと思います。
ワガハイハ、猫である

 名前はもともとない 

 今日も、私の主人は、パソコンに向かっている
 
 我が輩と同じく主人は、夜によく活動している
 
 全く、人間は気楽である  時々部屋に散乱する物の中から、食べ物をいただく
 そして私はゴミ箱の中で一眠りする
 ゴミ箱の中は白いくしゃくしゃ、ふわっとした物であふれており体を滑り込ますとふわふわなのである
 ある日、主人が急に動かなくなった
 私はついに部屋の外にでたが、溝に落ちて目の前が真っ暗になった

 ・泉八雲、高浜虚子が出てきます。
 ・「送籍」なる男も会話に出てきます。
 ・自殺志願をユーモラスに描いてます。
 終盤では、漱石特有の問題（そう、あの個人の自我や我執の問題）が顕になり、やはり漱石の小説なんだなあと感じさせられます。
 ・ベースボールを一種の砲術のように感じるといったところ、日本の近代化を日常的な面で感じるところです。
 ・漱石の言葉遊びも実際に発見できました。
 ・何年か前、批評家が言っていた漱石の凄い所、すなわち「芸術の消滅」を語っている部分、それも見つけました。みんなが自分のことしか考えないから、芸術や夫婦などの、複数人物あってこその社会的な活動もなくなってしまうというわけ。
 ・当たり前のことだけど、猫がこんな文を考えたり書いたりはできない。それなのに作品として成立しているというのが、漱石の、同時代の風潮を超越したところです。
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